『 バレンタイン事変 その1 』

店員に出された紅茶のカップを持ち上げ、ルキアは盛大にふーっと息を吹きかけた。
その仕草の愛らしさに、見守っていたギンは嬉しそうに微笑んだ。

「そんな熱うないやろ。前から思うとったんやけど、ルキアちゃんて猫舌なん?」

負けず嫌いなルキアは、ギンの言葉に少しだけ眉をしかめる。
「・・・熱いものが、少し苦手なだけだ。」

「つまり猫舌なんやん。」

「違う!少し苦手なだけだ!!」

おかしなところで意地っ張りな彼女の言動や行動が、愛おしいだけのギンはまたくすくすと笑みをこぼし、
その様子にルキアは仏頂面になりながら、ゆっくりと紅茶を飲んでいる。

二人は今、買い物の合間に、休憩に寄ったカフェにいた。

駅前に設置されたお洒落なカフェは女性客が圧倒的に多く、
その多くがギンの方を盗み見ていることに、ルキアは最近になって気がついた。

背が高く、痩せてスマートな体型に、シャープな顔の輪郭に通った鼻筋。
何かを企むために持ち上げる胡散臭げな微笑みまで、この男にはよく似合っている。
黒いジャケットに濃い茶のブイネックの薄手のセーターを着て、その長い足はグレーのパンツを合わせている。
ファッションはあくまでもシンプルで、服に対する大きなこだわりもなさそうではあるが、
それだけに素材の良さや、嫌味のないお洒落な着こなし具合が際立って見えた。
長い足を持て余し気味に組みながら、黙っていればそれなりの優男であるとくやしいが認めざるを得ない。

しかし、ひとたびその口が開かれると、


「ほんまにルキアちゃんは、なにしとっても可愛いらしいなぁ。一日中見とっても、僕全然飽きへんよ〜」

と、恥ずかしげもなく莫迦な科白を口にできる、
調子のいいとんでもないうつけ者だとルキアは認識しているのだが。

ルキアはカップをソーサーの上に戻すと、ふぅっと大きく溜息をついた。

「なんやルキアちゃん。疲れてしもうた?」

「そうだな。予想以上に買い物に手間取ってしまって。
・・・すまなかったな。折角の休みを、こんな事につき合わせてしまって。」

「何言うてん?こんなん、彼氏やったら当然のことやろう?
・・・なんてゆうても、僕もこんなんするんは、初めてなんやけど。」

「初めて?一緒に買い物することが?」

ギンの言葉にルキアは思わず目を見張った。
ちゃんと聞いたことはないが、今までギンが多くの女性とお付き合いをしてきたことだけは、
言われなくともわかってっているつもりだ。
なのに一緒に買い物もしたことがないとはどうゆうこうとなのか、ルキアには理解出来ない。

そんな驚きに満ちたルキアの顔を見て、ギンは少しだけ困ったような笑みを浮かべた。

「あぁまぁ・・・全然ないわけやないんやけど、
こないな風に休みの日一日潰して、買い物付き合うんは、初めてやねぇ。」

「だったら今までは、どのように過ごしていたのだ?」

「どんなんて・・・。そんなん、ルキアちゃんに言えるわけないやんか〜」

「・・・言えないような、付き合い方なのか?」

「そーやねー。まぁ、大人のお付き合いっちゅうことで、な?」

「・・・私が子供だと、言いたいのか?」

「あぁ!そない恐い顔せんでもええやん!ルキアちゃんと付き合う前の僕は、人としてクズってことやから。」

「・・・」

なんとか誤魔化そうとするギンの様子に、ルキアは不審げな視線を送り、
その威力の強さに、ギンはすぐにも白旗を立てる。

「・・・せやからぁ、つまらん女の買い物に付き合うても面倒臭いやん?僕はすることできれば、それでええんやし。
大体、付き合うてからより、落とすまでの方がおもろいもんやったし、付き合うゆうても三ヶ月続けば長い方なくらいやったな。
それに今まで付き合うた子ら、一回も部屋に入れたこともないんよ。僕がどこ住んでたんか、知らん子も多いんとちゃう?
面倒思うたら忙しい言うて会わんようにして、後は、飽きた思うたらそこでバイバーイしとったしな。」

「・・・本当に、クズだな。」

「そう言わんといてよ〜。僕も今は、ほんまに反省しとるんよ?」

「本当か?」


疑わしげなルキアと真正面から見つめ合い、ギンはにっこりと微笑んだ。


「ほんまに好きな子、できよったからなぁ。
僕がルキアちゃんに、僕みたいな事されたら本気で凹むわ。
都合いい性欲処理が目当てで、僕の事なんぞ一切興味ないゆうことやもん。
せやから今は、反省しとる。全員に頭下げてもええくらい思うとるよ?」

「・・・そ、そうか。」


『ほんまに好きな子』

その一言に、内心ひどく嬉しく思いながらも、ルキアは素っ気なく返事し、慌てて冷めて飲みやすくなった紅茶を啜る。
すると今度は、ギンの方からルキアへと話しかけてきた。

「あ!そうや。今日はこれ、ルキアちゃんに渡そう思うとってん。」

無造作にポケットから取り出された小さな物をテーブルの上に置かれ、ルキアはそれを手に取った。


「?・・・なんだ?これは・・・鍵?」

「そう。僕んとこの鍵。お守り代わりでもないんやけど、僕からの誠意の証。みたいなもんや。
まだ、早いか思ったんやけど、持っとるだけなら問題ないやろ?」

先ほど、今まで付き合った女性は部屋にあげたこともないと言っていた。
にも関わらず鍵を自分に差し出される事の意味を考え、今度こそ素直にルキアは気持ちを口にした。

「・・・ありがとう。ギン。・・・なんだか、とても嬉しい。」

「そう?そら良かったわ。こんなんして、引かれたらいやや思うてたしな。」

「・・・お前の淹れてくれた紅茶。・・・うまかったよ。」

「そうかぁ。・・・そしたら、今度家来よったらまた淹れたるから、楽しみにしとってな?」

「・・・うむ。」

その後店を出て残りの買い物を済ませて夕飯を共にし、まだまだ宵の口でありながら、
ギンは愛車でルキアを部屋の近くまで送り届けると、短くクラクションを鳴らし颯爽と帰っていく。

ルキアは遠ざかる車を見送ってから部屋に戻ると、買ったものを床に置き去り、ソファの上に倒れこんだ。
そしてクッションを抱き締め、ぼんやりと思う。


(今日も・・・なにも・・して、もらえなかった。)

ギンと付き合って年を越え二ヶ月以上たったが、ギンはルキアになにもしようとはしなかった。

二人で過ごす初めてのクリスマスに誕生日のイベントも、素敵なレストランでつつがなく祝われた。
人ごみの中を歩く時など、たまに手を繋ぐことはあっても、すぐに解かれそれ以上のことはない。
兄の監視の目が光る、要塞のようなルキアの部屋にあがりこむことはまず無理だと認識しているだろうし、
ならばとギンが自室へ誘ってくることもない。

しかし二人の付き合いは順調で、ギンの仕事が多少忙しい以外、今のところなにも問題なく思えた。

だが、ルキアの胸には少しだけ、小さな不安が影を落としている。




それは、ギンに自分が何も求めてもらえないことだ。



ギンは手を繋ぐ以外、何一つ触れ合うことを求めはしない。
それは一体どんな真意があってのことか、ルキアにはわからない。


ただひとつ言える事は、この状況にルキアが満足できていないことだ。

それは当の本人であるルキアが、一番驚いている事態。

それは、海燕に抱いた淡い少女の恋心とは全く違う、生身の男に感じる欲求。
付き合い始めてたった二ヶ月しかたっていないのに、こんな気持ちを抱くなんて。
自分がひどくあさましいような気がして、恥ずかしく、とてもギンには言えないこの思い。

何もかも、初めての経験。
異性と触れ合う事に、漠然とした不安があったはずなのに、
今、そんな不安のないのんびりとした理想的な付き合いに、ルキアの心が満足していない。

原因の一旦として、以前のギンは心より身体の繋がりを重視していたこともある。
はっきり言えば、身体を繋ぐ時以外、彼女の存在を疎んでいた節すら感じるギンの発言に、
ならばなぜ今自分には、正反対の付き合い方をしているのだろうと思う。
ギンが手を出さないのは、身体より心の繋がりを大切にしてくれているからなのか、
自分が女としての魅力が乏しいからであろうか。

今日などギンから部屋の鍵を渡され、このまま部屋に誘われるのではないかとの思いに秘かに胸が高鳴った。
しかし結果はなにもなく、ルキアは一人悶々とした思いに沈みここにいるのだから、なんだかひどく惨めな気にさえなっていた。

ルキアの指先が、自分の小さな唇をなぞる。


ここに、ギンの唇が、三度、触れたことがある。

しかしそれは、二ヶ月以上前の事。

その感触は、すでに、遠い。

ルキアは熱いため息を吐き出し、更に強くクッションを抱き締める。



好きな人に触れたい、触れて欲しい。

そう思い願うのは、あさましくふしだらで不誠実な、いけない、ことなのだろうか?



初めて感じる切ない思いに揺れ動き、ルキアはもう一度熱いため息を吐き出し、
抱いたクッションに顔を埋め、固く固く瞳を閉じた。

 

 

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gin top

※2月に終了したばかりの『無罪モラトりアム』の続編が早々登場☆すみません。この設定、大好きなんです!
無罪終了後、面白かったの声も頂き、「だったらもう続編書いてもいいんじゃね?」の思いから生まれた、お付き合い始め編w
またまた二人の周囲に不穏な影と、妙なすれ違いが起こったりして・・・!?得意の強引な展開で妙な騒動を巻きこします!(断言)
無罪ファンの方々に、楽しんで頂ければ本望です!再びこの二人を巡る事件に、お付き合い願いたいですー☆
2009.3.29

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