その深い森の奥に迷い込んだ少年は、辺りを見渡し溜息をつく。
見覚えのない木々の配置に、陽の光も覆う程生い茂った見たこともない大樹の群生。
認めたくはないが、どうやら、完全に迷ってしまったらしい。

最悪の結論にもう一度大きく溜息を吐き出し、それでも少年は歩き続けた。

獲物を追いかけ狩りに夢中になりすぎ、少年がこんな奥まできたのは初めてであった。
そうでなくてもこの森の奥に、村人が立ち入ることは禁じられている。

それは、奥に人を惑わす妖(あやかし)がいると言われ、信心深い村人達は誰も寄り付こうとはしなかった。
もちろん少年も子供の頃から悪戯に奥目指して分け入った事がなく、歩けば歩くだけより深くなる迷宮に、
口からでるのは溜息ばかりになり、少年は自分の明るいオレンジの髪を掻き毟り呟く。

「・・・んだよ。ここ。どう行きゃ・・・いいんだ?」






『 龍神の娘 』 第一話





さすがは妖の森と恐れられるだけはある。
なだらかな傾斜は自分が下っているのか登っているのか、そんな感覚さえもおかしくなりはじめており、
このままでは確実に彷徨い死んでしまうとの思いに、一護は足を止め油断なく付近を見渡した。

自分は昼過ぎにこの森に入ったので、今はそろそろ夜になる頃合か。
しかし空を仰げど、茂った葉に視界を邪魔され陽の位置さえも確認出来ない。
仕方なく一護がもう一度周囲を見渡すと、微かに、本当に微かに遠くでなにかがきらりと何かが光った気がした。

「・・・・・なんだ?」

なんの当ても手がかりもないこの状況で、この小さな光は一護の心に灯った希望の光。

もう一度そちらへ向かい目を凝らしてみると、もう一度きらりと確かに何かが光っている。
その光の正体はわからずとも、やっとの手がかりに一護は自然に駆け出した。
そして木々の隙間に見えたものに驚き、一護は足を止め息をのむ。

「・・・なんだこれ・・・沼か・・・泉・・・?」

一護の目の前には、奇妙な泉が広がっていた。

泉のほとりには千年以上生きてきたような、ぼこぼこと大きな瘤を不気味に膨らませた不気味で巨大な大樹が泉に根を浸して育っている。
泉の全長は向こう岸が見渡せる程度の、取り立てて大きくはないこじんまりとした感じではあったが、不思議なのはその水の色。
通常の水のような透明さがなく、青と銀色が混ざったような、深く濃い色合いに水面が鏡のようにピカピカ光を反射しているのだ。

「これ・・・飲めんのかな・・・?」

普段の一護であれば、苦手な泉にも怪しきものに決して近寄らぬ程警戒心が強いのだが、
今はとにかく長い間歩き通しだった為に喉が渇き、一護は泉のほとりに膝をつき、水をすくおうと両手を伸ばしかけた。



「触れてはならぬ!!」


泉に手を浸しそうになった瞬間、突然大声でそう叫ばれ、一護は思わずその手を引っ込め、
反射的に声のしたあの不気味な巨大樹の方を見上げて驚いた。


そこには、人がいた。

いや、厳密に言えば明らかに人などではないであろう。
先程一度泉を見回した時、あんな巨大樹の瘤の上に人はいなかった。
しかも、こんな人の寄り付かぬ森の奥深くに、いわくありげな泉の傍に佇む者など、
例え見た目が人型であれ、それを人だとは到底思えなかった。

しかし一護は不思議と恐怖は感じることなく、驚きに目を見開いたままゆっくりと立ち上がり、
泉の傍にある不気味な形に育った大樹の瘤の上に立つ、その者をしげしげと見つめた。

その者は背が低く、細く華奢で、着ている白い着物から伸びた手足が、頼りないまでにやけに白い肌をしている。
反対に髪は艶々と濡れているような輝きの黒で、またひどく印象的な深い紫紺の大きな瞳で一護を見下ろしていた。

一護はごくりと喉をならし、その者を見つめて思う。


なんて、美しい。

やはり人ならざる者のなしえる漂いむせぶような妖艶さを感じ、一護は一瞬心奪われ呆然とその者を見つめた。
しかし妖は厳しい表情で惚けたような一護を睨み、よく響く朗々とした不思議な声音で一護へと語りかける。


「貴様は、人間の餓鬼だな?
なぜこのようなところに居る?
ここは私の神聖なる水場。
人ごときが立ち入る場ではない。早々に立ち去るが良い。」

「・・・俺!狩りをしていたら、迷ってしまって・・・あの、村への帰り道を、教えてくれないでしょうか?」

妖の声に人間に領域を侵された苛立ちが感じ取れたが、それでも負けずに一護も声を張り上げれば、
一護の言葉に妖は少しだけ目を細めると、腕をあげて真っ直ぐに指差した。

「このまま真っ直ぐ下れば、無事村につくであろう。目印に、楓の木を辿れば良い。・・・早く去れ。じき、夜になる。」

妖はそう言うと、すぐに姿が陽炎のようにゆらりと揺れた。
そこで一護は慌てて、もう一度声を上げる。

「あの!俺、喉が渇いてるんです。少しだけ、ここの水を、分けては、もらえないですか?」

しかしこれに妖はゆるく首を振り、冷たく一護を見下ろした。

「この水は、飲めない。・・・変わりに、これを飲めばいい。そして、早く消えろ。」

そして妖の姿は煙のように消えてしまうと、一護の傍に水の入った小さな竹筒が現れていた。
一護はこれを手に取り、躊躇なくすぐに全て飲み干した。
そして一護は、誰もいなくなった瘤の上をもう一度見つめ、
それから竹筒を大事に懐へとしまい、妖に教えられた通り楓の木を辿り村を目指して下っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい!ルキアー!!居るんだろ?」

一護の声が辺りの木々に反射し響くと、ゆらりと空気が揺らめきルキアはいつもの大樹の瘤の上に現れ、呆れたような顔をした。

「貴様・・・。また、来たのか?」

「なんだよ?来ちゃ悪いのか?」

「だから!いつも来るなと、言っているではないか!」

一護がここに通うようになって、もう一ヶ月以上たっていた。

あの日無事村に帰れた一護は、翌日、借りた竹筒を持ちお礼に僅かな酒を持参し、再びこの泉にやってきた。
それから一護は毎日のようにこの泉へとやってきて、この妖と語らう事が日課になっていたのだ。

妖の名はルキアといい、この泉に一人きりで住んでいる。

ルキアは、最初こそ威圧的な態度であったが、何度も通ううちに一護に慣れてきたのか、
今ではこのように、友達同士のような口調で話せるようになっていた。
しかし、ルキアは一護が来るたびにお決まりごとのように、もう来るなと言い続ける。

でも一護は知っていた。
口は否定していても、孤独に曇ったルキアの瞳が一緒に居ると嬉しげに光っていることを。
だから一護はそんなルキアには取り合わずに、さっさといつもの場所に腰を下ろす。

「相変わらず、素直じゃねぇなー。・・・本当は、嬉しいくせに。」

「なっ!?なんだと!!わ、私が人間相手に嬉しがっていると、お、思っているのか!?」

「こんな所に一人でいたら、つまんねぇだろ?お前は命の恩人だし、しばらく俺が話し相手になってやる。」

「誰もそんな事を、頼んではおらんぞ!」

「まぁいいから気にすんなよ。・・・ほら、早くこっちに来て座れよ。」

「・・・まったく。なぜ私が、人間の餓鬼の言うことを、聞かねばならんのだ?」

ルキアはぶつぶつと文句を言いながらも、素直に一護の側へと移動し、憮然とした態度で腰を下ろす。
そんなルキアを眺め、一護は呆れたような顔をした。

「また文句言ってんのか?あれだな、お前って結構根に持つタイプなんだな。」

「な、なんだその言い草は!?貴様こそ、初めてここに来た時、ぐずぐず泣いていたではないか!?」

「嘘言うな!何時、俺が泣いたんだよ!?」

「泣いた!!」

「泣いてない!!」

いつの間にか、二人はこんなたわいもない事で、子供のような口喧嘩をするまでになっていた。
二人はこの短い期間の内に、まるで旧知の仲であるようにお互いを認め、自然と寄り添いあうようになっていたのだ。

どちらも折れぬまま、しばし無意味な問答を繰り返した挙句、どちらともなく可笑しそうに口を噤み、二人は黙って光る水面を眺めた。
その静寂を先に破ったのは一護の方で、一護は少しだけ言いにくそうに、視線を泉に向けたまま口を開く。

「・・・・・ルキア。実は今日、頼みたいことがあるんだ。」

「なんだ?一体。」

「お前、龍神なんだろ?龍っていやぁ水の神様だよな?
・・・なぁ。お前の力で、ここに、雨を降らせてもらえないか?」

「・・・・・」

この一護の申し出に、ルキアは辛そうに視線を伏せた。
しかし一護も、ここで引くわけにはいかず、俯くルキアを見つめ、切実に弁を重ねる。

「ここんとこ雨が全然降らなくて、村では老人や子供が倒れてる。
挙句、作物に水もやれないから、どんどん枯れてきているんだ。
厚かましい願いだとは思うが、頼む。少しでいいんだ。雨を降らせてくれないか?」

初めから一護は、ルキアの力を利用しようと歩み寄った訳ではない。
しかしルキアが龍神であると知り、その力を村のために行使してもらおうとするのは、
ルキアに対する一種の裏切り行為のようにも思えたが、今の村の状態を考えると、
一護はルキアの力をあてにすることを厭ってはいられなかった。
だから一護は、ルキアに精一杯の誠意を込め、丁寧に頭を下げた。

ルキアは視線を伏せたまま、しばし沈黙したかと思うと、瞳を閉じ、ひどく苦しげに小さな声で呟いた。

「・・・すまぬ。一護。私に、雨を降らせることは・・・出来ないのだよ。」

「出来ない?」

意外なルキアの返答に、一護は驚き顔を上げる。
ルキアは辛そうな顔をしたまま薄っすらと目を開け、遠い視線で泉を見つめたまま言葉を続ける。

「神通力が足りぬのだ。それに、私はここから出られない。
・・・本当にすまないが、村に雨を降らせてやることは出来ない。」

「そういえば・・・お前、なんでこんな所に一人でいるんだ?親や仲間は、どこにいるんだ?」

ここに通うようになってから、ずっと胸に抱いていた疑問を今こそ一護はルキアへ投げかけた。
ルキアは龍神だが、ここの土地神の類ではなく、たまたまこの泉に住むようになったとだけ聞いていた。
だったらなぜ、こんな所で一人住まわなければならない理由があるのだろうか。
ルキアの瞳を見れば、長い時間の孤独に翳った思いを覗き見ることが出来る。
そんな悲しい顔をする位であれば、いつでも仲間の元へでも帰れば良いはずなのに。

この一護の疑問に、ルキアは自嘲するような笑みを浮かべた。

「私はこの泉に捕らわれている。一人で、ここから抜け出すことが出来ぬのだ。」

「なんでだよ?龍神っつたら、水の神様で、結構強いんだろ?」

これにルキアは少しだけ黙り込んでしまう。
だがしかし、すぐに決然と顔を上げ、一護の目を見てキッパリと言い切った。



「私の魂は半分に裂かれている。力を失った龍神は、静かに朽ちていくだけなのだ。
・・・だから、例えここを抜け出すことが出来たとしても、力のない龍神など仲間の元へ帰る事は出来ない。
私は、龍神として不完全な異端児なのだから。」

「魂が半分?・・・じゃあ、その半分はどこにやったんだ?」

「くれてやった。」

「やった?誰に?」



「・・・・・この世で一番、大切な者に。」


思いがけないルキアの言葉に、一護はハッとしたように息を呑む。

そして、それに自分が訳のわからぬ衝撃を受けた事を感じ、ドクドクと胸を高鳴らせながら、
そんなことは悟られないよう自然さを必死になって装いつつ、ルキアとの会話を続けた。

「・・・!!・・・だ・・・だったら、返して貰えよ。返してもらえば、お前は強くて自由になるんだろ?」

「それは・・・できぬ。」

「なんで?」

「その者が、死んでしまう。」

「でも!そうしなきゃ、お前が死ぬんだろう!?」

どうしようもない怒りが沸いて、思わず一護はルキアに向って怒鳴っていた。
それは自分が死んでまで誰かを護ろうとするルキアと、そのルキアに護られているどこの誰かに対する苛立ちであった。

しかしルキアは淋しげな笑みを浮かべたまま一護を見つめ、一護を猛りを沈めるように静かな声音で語りかける。

「・・・お前には、いないのか?」

「いない?・・・なにが?」

「自分の命をかけて、護りたい者。
自分が生きるより、生きていて欲しい者。
・・・そんな者は、いないのか?」

「・・・!!お、俺・・・には・・・!」

ルキアにそう問われれば、一護はなんだか言葉に詰まり、顔を赤くしてルキアから視線を逸らした。
ルキアはそんな一護から視線を外し、静かにたゆう水面を眺め、ひどくゆったりとした口調で思いを紡ぐ。



「そんな者なのだ。

私が生きるより、生きていて欲しい。

幸せであって欲しい。

・・・この世の誰よりも大切な、大切な者なのだよ・・・」



「・・・んだよ。・・・それ・・・」

自分が死んでもいいと思える程までに大切な者が、ルキアにはいる。

その事実に一護はなんだかひどく腹立たしい思いが生まれ、きつく唇を噛み締めた。
しかしルキアはそれには気づかず、一護を見つめ優しく微笑んだ。


「今わからなくともこれからの人生で、お前にも出来るよ。
自分の全てを投げ出しても、護りたい者が。
そんな者が現れたら、後悔せぬよう全力で護れ。
なにもせぬまま自分だけが生き残り、大切な者を失う程、辛いものはないのだぞ。」


そう言ったルキアの瞳は不思議な輝きを宿し、深く濃い水底を思わす光に揺らめいた。
その瞳に魅せられた一護は、思わず無言のまま魅入ってしまう。

「・・・・・」

「どうかしたのか?」

「・・・・・お前の目。すっげぇ綺麗だな。見たことのない・・・不思議な色をしている。」

一瞬ルキアはきょとんとしたように瞳を見開き、それから可笑しそうに手で口元を覆い、くすくすと笑う。
そして芝居がかった口調で、一護に少しだけ顔を近づけると低い声で囁いた。



「気をつけろよ小僧?私は妖だ。用心せねば・・・・・喰われるぞ?」


ルキアはゆらりと立ち上がり、妖艶な笑みを浮かべると煙のように消えてしまう。

一護はすぐに動くことが出来ず、先ほどのルキアの言葉を思い出しながら、しばらくの間その場に一人で留まり、
相変わらず光り煌く水面を黙って見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいわけ
 アンケート作品『なんでもいいからイチルキ』は、一応ちょいちょい更新していましたが、改めましてアンケ作品第三弾!
 久しぶりのイチルキで、ジャンルは昔話パロと銘打っても構わないでしょうか?なイチルキパロの『龍神の娘』全四話予定です。
 内容より先に、タイトルがふっと降ってきました。何気にお気に入り。でもパロ嫌いなイチルキスキーさんはごめんなさい!
 これは、某サイト様の昔話パロを読ませて頂き、私だったらルキアが妖だな。と考えたのから思いついたお話です。
 一応話は違うつもりですが、所々かぶっているシーンが、あるかも・・・しれません。(え)
 ・・・これって立派なパクリ?どうしよう〜!とも思ったのですが、私の書いてもいいですか? の打診にとても快くOKを頂きました。
 なので、思いつくまま書かせて頂きます!本当にありがとう!re○-uさん!!愛してる☆(告白)
 2009.6.6

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