次の日、今日も空は真っ青に晴れ上がり、朝から暑い日ざしが降り注ぐ。


今朝早く織姫の方から電話がきて、夕方公園で会うことになった。


一護は夕方までいつも通り空座町を駆けずり回り、それから公園へと足を向けた。


その足どりが重いのは決して疲れだけではない。


一護は眉間の皺も深く、それでも揺るがぬ決意を胸に公園へと急ぐ。





第八話 『夏幻』





五分以上前に一護が公園に着くと、木陰のベンチに座ってもう織姫が待っていた。
公園内は無数の蝉の鳴き声が溢れ、その短い一生を高らかに謳っている。

織姫の表情は暗く、一護がかなり近づくまで気付いていなかった。

「・・・よお、井上。」
「え?!あ、あ、こ、こんにちは!黒崎くん!び、びっくりしたぁ!」

織姫は立ち上がり、慌てふためきながらも笑顔で一護を迎える。
そのいじらしさに、一護は胸を掴まれたような痛みを感じた。

もう子供達は家に帰る時間になったのか二人の他に公園内に人影はなく、
空は茜色に染まり温めの風に吹かれながら、二人はしばし黙ってベンチに腰掛けた。


「・・・あのな、井上。」
「ま、毎日暑いねー!黒崎くん、かなり焼けたね?!あたし焼けないんだー!赤くなるばっかりで!」

「・・・お、おう。そうだな。」
「わたしクーラー苦手だから使わないけど、扇風機だけじゃさすがに暑くて、
用もないのにお店行って涼んだりして!結局クーラー使ってるんだよねー。」


「・・・そうなのか。」
「あ、あ、たつきちゃんが狙ってる大学どこだか知ってる?空手が強いところなんだよ!
大学いっても続けるんだって!たつきちゃんなら、世界相手に戦えると思うんだ!楽しみだよね!!」



織姫は一護に口を挟む隙を与えず懸命に何か喋り続けていた。
一護は簡単に相槌を打ちながら機会を待ち、織姫の話に辛抱強く耳を傾ける。


やがてさすがに話すことがなくなった織姫は、困った表情でそれでも何か話そうと口を動かし続ける。
「あとね!あと、あと・・・えっと・・・」

一護はそこでやっと機会を見出し、静かな声で語りかける。

「・・・井上。俺も少し話していいか?」
「・・・え?」

織姫はその言葉に動きを止め、不安げな表情で一護をじっと見つめた。

その視線を受け止めながら一護は覚悟を決め、ゆっくりと話し始める。

「・・・俺。」

「や、やだ!!ダメ!!!」


しかし織姫は一護の言葉を遮ると、ベンチから立ち上がり、日差しの中へ逃げ込んだ。


「井上・・・?」

一護も立ち上がり、背を向けたままの織姫の後姿を見つめる。

その肩は微かに震え、泣いているのではないかと思った。

「井上、大丈夫か?・・・俺が・・・」


「黒崎くん!話さないで!!」


今までにない強い調子で言葉を遮られ、一護は驚き言葉を無くす。


織姫は幾度か深呼吸して息を整え、それからゆっくりと一護の方へ向き直る。

織姫は泣きそうな表情で、それでも努めて冷静に話そうと必死になっていた。


「だって・・・黒崎くんが話したら・・・別れ話になっちゃうんでしょう?」


「井上・・・」


「せっかく・・・せっかく初めて黒埼くんと公園に来れたのに・・・そんなの・・・嫌だよ・・・」

「井上・・・ごめん。俺が悪いんだ。俺が・・・」



「聞きたくない!!!」



織姫は叫び両手で、耳を塞ぐ。



「井上・・・」


一護は内心ひどく驚いていた。


織姫のことだから、何か言われるにしてもとにかく話は黙って聞いてくれると思っていたのだ。
まさかこんなにも激しく拒絶されるなんて、思いもよらなかった。

織姫は耳を塞いだまま顔を伏せ、何かに耐えるように身を縮めている。

一護はその姿を悲しげに見つめ、しばし呆然と立ち尽くした。


二人は沈黙し、織姫の心を感じたように一際高く悲しい声でひぐらしが鳴く。



やがて織姫が耳を塞いでいた両手をゆっくりと外し、今度は腹部の辺りで固く握り締めた。


織姫の周りの空気が張り詰め、一護は声をかけるかどうか迷う。
いつも天真爛漫な織姫の変貌ぶりに、内心動揺が隠せない。
しかしここを乗り越えなければ、ルキアに会う資格もなく、これ以上井上を苦しめることになる。
一護は固く目を瞑り、騒ぐ気持ちを押さえ深く深呼吸をする。


そして目を開いた一護の口が言葉を発するより早く、織姫の声が一護の耳に届く。

「・・・なーんてね。びっくりした?」

伏せた顔をあげ、驚くことに織姫は笑っていた。

だがその笑顔に普段の明るさはなく、悲しく痛々しい笑顔であった。


ふいに蝉の鳴き声も止み、辺りは痛い程の静寂に包まれた。


織姫は再び一護から背を向け、落ち着きを取り戻し静かな口調で語りだす。

「黒崎くん。ごめん・・・私の方から、先に話てもいいかな?」
「・・・あぁ。」
「・・・ごめんね。ありがとう・・。」

織姫は背を向けたまま顔を伏せると、もう一度を顔を上げ、一護へは背を向けたそのままの姿勢で話し始めた。


「朽木さんが転校してきてすぐ位、黒崎くんと朽木さんが二人で公園にいたでしょ?
本当はすごく羨ましかったんだぁ・・・私も一緒に黒崎くんと公園に行きたいなぁって・・・。」



一護は言葉もなく相槌すら打っては悪いような気がして、息を潜めて織姫の言葉に黙って耳を傾ける。


「・・・黒崎くんの隣にいられるのは・・・私じゃ、ダメなのかなぁ。」

織姫の言葉が潤み、辛そうに息を吐くと思い切って一気に叫ぶ。


「だって・・・だって朽木さんは・・・死神なんだよ?向こうに家族も友達もいるんだよ?
私達とは時間も世界も全然違うのに・・・!」

織姫の言葉に、一護はデジャヴを感じていた。

あの、二年前の夏休み前日。
ルキア救出に行くべきか、もう一歩踏み出せない気持ちをかかえていた、あの夏の日。

あの時も織姫は一護に同じことを言っていた。
ただしあの時は、一護の背中を押すための伏線のための言葉だった。


でも今の織姫の言葉に、あの時と同じ気持ちは当然ながら宿っていない。




人間と死神。



姿は似ていても、全く相異ってはいない生き物。

友人としてなら付き合っていける。だが人間の生涯の伴侶としてはどうであろうか?


「どうして、このタイミングで朽木さんは来たんだろうって思った・・・会えたのは嬉しかった。

本当に嬉しかった・・・けど、やっと黒埼くんと付き合えるようになったばっかりで

・・・それなのにって・・・来なければ良かったのにって・・・!!」



それは、織姫の隠していた本音だった。


一護の中に住むルキアの存在を、織姫は十分に知っていたのだ。

それでも時がたてば、会えない想い人より側にいれた者が勝てるのではないかと思っていた。
だから側にいたくて、告白し、一護も承諾してくれた。

だからこれから始る二人の時間に夢を馳せ、告白した日の夜、織姫は嬉しくて眠れず夜中に何度も起きたりしていた。


なのに、そのルキアが一護の目の前に現れてしまった。


目に見えて一護の態度は硬化していき、すでに織姫は勝ち目がないとわかっていた。


それでも、あきらめたくはなかった。


何年と想っていた一護が、とても好きだったから。


どんな形であれ、側にいていいのだと許されていたかった。


「朽木さんが羨ましかった。黒崎くんが必死で救い出そうとしている朽木さんが・・・羨ましかった。
だから私があの時藍染さんの所へ行くって決めたのも・・・本当は私も同じように黒崎くんに、助け出して欲しかっただけなのかもしれない。
・・・本当に、ごめんなさい。」



醜い自分を好きな人に晒すのはひどく辛かったが、それでもこの気持ちを伝えずにはいられない。


こんなにも、誰かを嫉み心を黒く染めても、あなたが好き。


織姫は言葉を切り、震える自分を抱き締めるように両腕を腰に回す。
いつの間にか空を染めていた濃いピンク色の空は闇を宿し、生ぬるい風が吹きぬける。


一護は織姫の心情を察し、心が痛む。

今井上は必死になって自分の気持ちを伝えている。

綺麗な部分ではない、誰にも隠しておきたい本当の心を。

一護は軋む胸の鼓動を感じ、切なさと罪悪感に息苦しくなる。

本当に悪いのは井上ではなく自分自身だ。
こんなにもルキアを好きなままで、織姫と付き合うことに逃げた自分なのに。


「井上、もういい。そんな、辛いこと全部話してくれなくていいんだ。本当に悪いのは俺の方だ。
・・・ルキアを好きなままで、井上の気持ちに答えれないまま、簡単に付き合うって言った俺が一番悪いんだ。」



一護の言葉に織姫は振り向き強く頭を横に振り、それに合わせて美しい髪がゆらゆらと舞った。

「そんなことないよ!・・・だって、知ってたから・・・黒崎くんが朽木さんを好きなこと・・・ずっと知ってたから。
・・・でも、それでも今はいいって・・・いつかはきっとって・・・思ったから!!」


織姫は叫び、それから唇を固く結ぶ。
全身は小刻みに震え、涙を耐え、織姫は最後に深く深呼吸をした。

それからまた、今できる精一杯の笑みを浮かべ一護を見た。

「朽木さん。だよね。黒崎くんの世界を変えたのは。朽木さんじゃなきゃ、だめなんだよね・・・?」

一護は悲壮感溢れる織姫をしっかりと見つめ、強い決意を持って静かに力強く答えた。

「俺はルキアが好きだ。もう迷わない。あいつを離さないって決めたんだ。・・・ごめんな、井上。本当にごめん。」

織姫は笑ったまま頷く。

「しょーがないなー。黒崎くんにそんなに謝られたら仕方がないから、許してあげるよ!
・・・あ、でも。一応私が黒崎くんの最初の彼女だよね?・・・それだけは、忘れないでね?」


「井上・・・あぁ、絶対に忘れたりしない。約束する。」

一護の言葉に織姫は良かったーっと笑って見せた。
それはいつも通りの織姫のようで、一護は少し安堵する。

「最後に我侭言って困らせてみちゃった。ごめんね、黒崎くん。」
織姫は恥ずかしげに笑い、軽く頭を下げる。


「そんなことない。俺が、全部悪いんだから。井上。ごめんな。本当に。
・・・どう謝ればいいのかわかんねぇけど・・・本当に悪いと思ってる。」


「黒崎くん・・・もう、謝らないで。・・・だって、あんまり謝られると、
少しでも付き合おうとしてくれたこと、ものすごく悪いことだったみたいで、かえって悲しいよ。」


「井上・・・」
「私は、嬉しかったんだよ。すっごく、すっごく・・・だから。」

その時織姫は、心から嬉しそうにふわりと笑った。

「一瞬でも、私と付き合おうって思ってくれたこと、もう、後悔しないで。」

織姫の真の強さを目の当たりにした一護は、思わず目を細めた。
一護は深い感謝を胸に、織姫に向かって頭を下げた。

「わかった。・・・ありがとう。井上。」

「わわっ!やだ、黒崎くん!頭なんかさげたりしないで〜」
もう織姫は完全にいつもの調子で、頭を下げた一護に向かって両手を振って抗議する。


時刻は夕暮れから完全に夜へと変化していた。

闇増す空を眺め、織姫はそれじゃあと一護に言った。

「あたし、帰るね。・・・ばいばい。黒崎くん!」
「お、おう。・・・気をつけて帰れよ。」

「うん!・・・朽木さんに宜しくね!」

織姫は最後の強がりを言い、明るい笑顔のまま一護から背を向けた。

そして走り出そうとした織姫の足元に、一匹の蝉が腹を向けて転がりながらも、
必死になってもがく様を視界の端で捕らえ、織姫は蝉から目が離せず思わずその場に立ち尽くす。


「・・・どうした?井上。」

足元を見たまま動きを止めた織姫に、一護が声をかけると、織姫はぽつりと呟いた。


「・・・蝉が。」


「セミ?」

「・・・蝉って、可哀想だよね。何年も何年も暗い土の中で眠り続けて・・・
やっと自由に空を飛びまわれると思ったら、一週間で死んじゃうなんて・・・神様って残酷だよね。」


「・・・」

織姫は一護の存在を失念してしまったかのように、誰に話すでもなくぼんやりしたまま呟きつづけた。
一護は織姫の言わんとする意味を掴みかね、黙って織姫の様子を見守った。


「まるで報われない、恋みたい。・・・なんて、蝉に対して失礼かな。」



幾年も想い続け、実ったと思った瞬間に幻のように消え去ってしまった。

それはとても短く儚い夏の幻。

蝉のように刹那の恋。

どんなに綺麗に終わらせようと強がってみても、地面に転がりながら、終わりたくないと無様にもがいてしまう。



今の私は、空から落ちた、この蝉のようーーー。




そして織姫は無言のまま駆け出し、あっという間に公園から姿を消した。

すると止んでいた蝉の声が、突如一斉に鳴きだした。


残った一護は蝉の声に耳を傾け、それから織姫が見ていた転がりもがく蝉を見つめる。


今回の件で少なくとも恋次、井上、石田を巻き込み、悲しい恋の終わり方をさせてしまったのか。
その罪は深く、たとえ誰にも許されなくとも、一護はルキアをあきらめないと再び固く決意する。


一護は携帯を取り出し、雨竜の電話番号を発信した。

『・・・黒崎か?』
二回目のコールで雨竜はすぐ電話に出た。

「石田。井上と話しはつけた。昨日の公園にいる。出てこられるか?」
『五分以内に着くよ。』

簡潔なやりとりで電話をしまい、一護はゆっくりと夜に支配されゆく空を見上げた。


最後の関門を突破すれば、もうすぐルキアに会える。


一護は泣き続ける蝉の声を聞きながら、静かに時が来るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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