ルキアは浴室から出ると織姫の用意したパジャマを着て、部屋へと戻る。
「あ、朽木さん。お湯熱くなかった?パジャマは・・・やっぱり少し大きいね。」
ルキアの着ているパジャマは織姫のもので、それを織姫がルキアサイズに縫い直したものだった。
「多少余裕があるが十分だ。この短時間でここまで綺麗に縫えるのとは驚いたぞ。」
「うん!お裁縫は少し出来るんだよ。学校でも石田くんと一緒に手芸部に入ってるんだ!」
えへへ〜と嬉しげに微笑む織姫を見つめ、ルキアは心から賛辞する。
「井上はすごいな。美しいだけでなく、家庭的で女らしい。優しい上に真っ直ぐで・・・本当に一護は果報者だ。」
「え?!や、やだな朽木さん。そんなことないよ〜どうしたの急に?!」
ルキアのストレートな褒め言葉に照れた織姫は、飲み物取ってくるとせわしなく台所へ消えた。
第三話 『郷愁』
その後姿を眺め、それからルキアは部屋を見回した。
全体的に家具類は少なく、とても綺麗に整頓されていた。
その中でも井上らしい可愛らしいもので飾られた、居心地のいい空間であった。
ここでいつか一護と共に語り合う日が来るのであろう。
そう思うと、ルキアの薄い胸は切なさにきりきりと痛み、張り裂けそうになる。
そこへ飲み物を乗せたトレーを抱え、元気に織姫が戻ってきた。
「夏のお風呂上りはやっぱり麦茶だよね〜!牛乳も捨てがたいけど、やっぱり夏だから!」
「・・・すまんな。」
ルキアは痛む胸を押さえ、努めて何でもない風に麦茶を受け取る。
そして改めて目の前の織姫を、ルキアは見つめた。
同姓から見ても井上は、本当に美人な上に可愛らしい。
しかし井上の魅力は見た目の美しさ以上にその心にある。
明るく、強く、優しく、自分以上に他人を気遣う。
それは戦場で味方だけでなく、敵をも癒したことがある位だ。
井上を見ていると普段以上に自分の心の醜さが浮き出ているような、堪らない気分になることもある。
それは彼女がどこまでも清く真っ白な存在だからかもしれない。
この娘に愛され、嬉しくない男など、この世のみならず尺魂界にも存在しないであろう。
だから、
だからきっと一護もーーー
「?朽木さん。」
織姫の呼び声で、ルキアは我に返った。
「・・・あ!・あ、あぁ。なんだ?井上。」
「ずいぶんボーッとしてたから・・・大丈夫?具合でも悪い?」
「いや、すまんな。少々疲れがでてしまったようだが、心配ない。」
言ってルキアは目の前に置かれたグラスへと手を伸ばし、麦茶を一口飲み込んだ。
「そう?でも、無理しないで。今日は早く休もうね。」
そう言って微笑むどこまでも優しい織姫の言葉に、ルキアは羨望を覚え、ずっと聞きたかった事を自然と口にしていた。
「井上は・・・」
「あたし?うん、なに?」
「井上は、一護のどこが好きなんだ?」
「ふぇっ?!な・・・ななななに?急に?!そ、そんな・・・!」
ルキアの言葉に、織姫は顔を真っ赤に染めわたわたと狼狽している。
だがルキアは怯まずに、更に追い討ちをかけていく。
「しかし二人は付き合っているのだろう?」
織姫は俯き、もじもじと両手を落ち着きなく動かしながら呟くように説明する。
「つ、付き合ってるって言っても、まだ一週間しかたってないし。
まだ電話で話すくらいだし、まだ二人で会ったことなんかないし・・・」
付き合ってまだ一週間。
その事にルキアのふたつの心が葛藤する。
“一週間。その一週間、早く来ることが出来たならーーー”
“しかし、一週間早く来ていたからどうなっていたというのだろうか。
どちらにしろ一護は、きっと井上を選んでいたはずだ。”
妙な期待を持ちたい願望と、現実を受け止めた冷静な心が対立して、
諦め悪く、あがく自分自身の心に、ルキアは寂しい笑みを浮かべた。
「・・・そうか、そこまで一護から聞いていなかったものだから。
それはすまなかったな。今日など二人で会いたかったろうに。」
しかし織姫は、少々大袈裟に首をぶんぶんと思い切りよく横に振る。
「う、ううん!!私、朽木さんに会えて嬉しかったもん!本当だよ!」
「・・・私も井上に会いたかったよ。」
そう言ってルキアは、ひっそりと微笑んだ。
本当は向こうで現世に行く準備をしている時が一番楽しかった。
井上に石田に茶渡。かつて一緒に肩を並べ戦った人間の仲間達と語らう事が本当にすごく楽しみだった。
そして一護。
何を語り、どこに行こうか。
そして・・・今度こそ想いを伝えよう。
戦いの最中、一護に対しある種の感情が芽生えていたとルキアはハッキリ感じていた。
だが尺魂界の現状を考えると、最後の激戦後にそんな個人的な感情を口にするべきではないと思い、何も言わずに彼の元を去ったのだ。
約束も何もなくとも彼は待っていてくれる。
そんな少女めいた夢を持っていた訳ではないが、心の片隅でそう願っていた。
実際今後どうなるか保障など全くなく、次に会えるのは十年以上先になるかもしれなかったし、
そんな状況下で人間の少年の心を悪戯に惑わすべきではないと自分を戒めたのだ。
しかしルキアの並々ならぬ努力のかいあって、一護が高校生でいる内に会いに来ることが出来た。
未だに不安定な次元回路の修復など尺魂界は問題が山積みだったが、今では少しだけ未来への見通しがたち、
近い将来頻繁には無理でも、現世へ行き来することも出来そうになっていた。
だから一護に、伝えよう。
お前が、好きなんだと。
許してくれれば、側に居させて欲しいんだと。
しかし今、一護の隣に井上がいた。
それは十分考慮できた事態のはずなのに、ルキアの頭は理解しても感情が追いつかなかった。
内面の醜い部分がルキアの中で暴れもがき、悲しみと羨望が渦巻き嵐を起こしている。
本当は『一護の彼女』となった織姫と一緒にいるのは辛かったが、自分に課した試練として受け入れる。
井上は自分に比べて全てに秀でている。
人間同士同じ時間を積み重ね生きていくのが幸せだ。
ルキアの内面に巣食った負の感情を消滅させるべく、ルキアは織姫の側に居た。
「・・・あたしね、中学校の時から黒崎くんが好きだったんだ。」
やがて頬を赤く染めた織姫が顔を伏せ気味にしたまま、ぽつりぽつりと語りだす。
「私と黒崎くんが会ったは、お兄ちゃんが交通事故に遭って、黒崎くんの家に担いで行った時だったんだ。
その後たつきちゃんに幼馴染だって教えてもらって、それでなんとなく・・・本当になんとなく気になって・・・」
ルキアは息を詰めて織姫を見守り、それで、と織姫は話し続ける。
「なんとなく気になるようになって、そうしたら自然に黒崎くんを探すようになってて。
そしたら黒崎くんて、言い方は乱暴なんだけど本当はすっごく優しい人なんだってわかって・・・」
一護のことを話す織姫の表情は幸せが溢れていた。
ルキアは言葉もなく、そんな織姫に魅入られたように目が離せない。
「ずいぶん悩んだけど大学も別々になっちゃうし、このまま何も言わないで終わっちゃうのは嫌だったから、
・・・思い切って告白したんだ。」
「・・・そうか。」
ルキアは辛うじて相槌を打ち、口の中が妙な渇きを覚え、もう一度麦茶を飲む。
井上は一護の内面に共鳴し、惹かれたのだ。
私と同じように。
その事がなんだか悲しく思え、ルキアは知らず拳を握る。
「・・・朽木さん。怒らないで、聞いてくれる?」
先程より深く俯いた状態で、小さな声で織姫が呟く。
ルキアは思わず顔を上げ、気まずそうな織姫を見つめた。
「ん?なんだ?怒らないとは?」
「うん。・・・恥ずかしいけど、朽木さんにはちゃんと、言っておいた方がいいかと思ったから・・・。」
織姫の言わんとする事が掴めないままだったが、ルキアは努めて明るく請け負った。
「いいぞ。もちろん怒ったりしない!だから何でも言ってくれ。」
「・・・うん。」
そう言ったきり、やはり決心がつかないのか織姫はしばし沈黙する。
ルキアはその間、辛抱強く黙って織姫を見守った。
やがて秒針が三週回った頃、織姫はやっと口を開いた。
「・・・本当は私、黒崎くんの所に朽木さんがいるって聞いた時・・やだな。って思ったの。」
それは恋する者であれば当然の感情。
好きな人の側に、異性がいるなど当然気分が良いわけがない。
その辺を全く考慮出来なかったルキアは自分の無神経さに、驚き思わず声を上げる。
「!・・・あっ・・。」
ルキアの声に弾かれたように顔を上げた織姫は、真っ直ぐにルキアを見つめ大慌てで両手を振り回しつつ叫んだ。
「ち、違うよ!朽木さん!!朽木さんに会えたのは本当の本当に嬉しいの!!・・・ただ・・」
すると再び織姫は顔を伏せ、恥ずかしそうに呟く。
「・・・ただ、黒崎くんのすぐ側にいられるのが、羨ましくて・・・嫉妬、しちゃったの・・・」
「・・井上」
二人の間に沈黙が生まれ、ルキアは何と言おうか悩んでいると、顔を伏せたままの織姫が先に口を開いた。
「朽木さんは、黒崎くんにとって特別な人だから・・・」
それからゆっくりとルキアを見つめ、やや泣きそうな表情で微笑んだ。
「黒崎くんの、世界を変えた人だから。・・・黒崎くんは、救われたんだもの。」
ルキアは驚愕に唖然として真っ直ぐに織姫を見つめ、頭の中で言われた言葉を繰り返す。
『特別』で『世界を変えた人』
それはまさにルキアが一護に対して抱いた想いであったから。
一護に出会い、大切な人をこの手で殺めた暗い過去持つルキアの世界を大きく変える事が出来た。
ルキアの心には常に海燕を殺したあの日の雨がふり続けており、その雨を止めてくれたのは確かに一護だった。
それは兄様にも、恋次にも、誰にも出来はしないこと。
一護に出会えたから私は救われた。
一護。
一護。
私は一護の事も同じように救えていたのだろうか・・・?
そうならばいい。
私の存在がただの厄介ごとではなく、一護を救えた存在になれたなら。
私達が出会う意味は、確かにあったのだと言えるのだから。
ルキアの双眸が切なさに揺れ、一護を想い涙が溢れそうになった時だった。
「・・・あ!」
そして突然織姫は困惑した様子で声をあげた。
ルキアは思考を中断して、慌てて織姫に声をかける。
「ど、どうした井上?!」
「あ、あたし・・・!」
「なんだ?!どうしたのだ?」
織姫は困惑したように両手で頭を抱え、必死な様子で謝りだした。
「あたし・・・朽木さん、死神なのに“人”って言っちゃった!ご、ごめんなさい!!
・・・あれ?死神なのにって言う方が失礼だったのかな?やだぁ、本当にごめんなさい!!!」
ずいぶん見当違いな謝りかたに、ルキアは虚を突かれしばし唖然とした後、ふいに可笑しさがこみあげ大声で笑う。
「・・・・っく!あはははっ!!」
「ごめんね、ごめんね朽木さん!!」
「あ、謝るな・・・くっくっくっ・・・わ、笑いが止まらなくなる・・・ふふふっ・・・!!」
「だ、だって・・・!」
「頼むから・・・はぁはぁ・・・謝るな・・・」
「う、うん・・ごめんなさい・・・」
「謝っているではないか!!・・・あははははっ・・・」
織姫は慌てふためきその様子を見たルキアは笑い続け、先程溢れ損ねた涙を笑いに紛らせそっと流した。
早寝の織姫は十時にはベッドに入り、なかなか寝付けぬルキアは携帯そっくりな伝令神機を握り締めそっとベランダへと出た。
現世の夜は蒸し暑く不快な空気が蔓延しているが、それでもその熱に懐かしさを感じる。
機器のボタンを数回押し、耳に当てると、幾度かのコール音の後、耳馴染む元気な声が響いてきた。
『おぅ!ずいぶん連絡遅ぇじゃねぇか薄情者!そっちはどうだ?皆変わりねぇのか?』
「恋次・・・」
元気な幼馴染の声は心細い夜を少しだけ振り払い、ルキアは小さく安堵する。
『どうだ?黒崎のヤローは相変わらずか?ちょっと代わってくれよ。』
「・・・すまん恋次。今、井上のところで厄介になっているので一護は居ない。」
『あ?あぁそうか。あの子の所か・・・良かったじゃねぇか。楽しそうで。』
何気ない恋次の一言に、ルキアは暗く呟いた。
「楽しそう・・・」
ルキアの変化を敏感に感じとった恋次は、すぐさまルキアに問いかける。
『?おい、ルキア。どうかしたのか?なんか声が変だぞ?』
しかしルキアは質問には答えず、暗く低い声音のまま現実を語りだす。
「恋次・・・一護と井上は、付き合っているそうだ。」
さすがに恋次も予想外の言葉にしばし唖然としたようだった。
『・・・は?一護とあの子が?なんだそれ?いつからだよ?』
「つい、一週間前かららしい。」
『一種間前って・・・。ルキア。お前、大丈夫なのか?』
「・・・なんのことだ?」
『だってお前・・・』
当然ながらルキアの想いを知る恋次は、やけに切羽詰った声音でそのことを口にしようとした。
「恋次」
しかし心配してくれる幼馴染の声を遮りルキアは静かに話し出す。
「私はここに来るべきではなかった。」
『ルキア・・・?』
ルキアの声はひどく冷静で、かえってそれが恋次の不安を煽りはじめた。
ルキアは恋次の声など聞こえていないかのような、心のうちを独り言のように話し続ける。
「皆それぞれの道を歩み始めているのに、私だけつまらぬ郷愁を抱き、皆を混乱させるだけだった。」
『・・ルキア!』
ルキアの声は少しずつ熱を帯び、声も自然と高くなっていく。
恋次もこれに比例して、強い口調で少女によびかける。
「私は、この世界に生きる者ではないのに。」
所詮は死神。この現世では異物の存在でしかない。
そんなこと、とうの昔から知っていたはずなのに。
人間を、一護を想うあまり、私は大きな勘違いをしてしまった。
死神が現世に郷愁を感じるなど、馬鹿馬鹿し過ぎて笑い話にもならない。
本来は最後の戦いが終結した時点で、こちらとは一切手を切るべきだったのに。
『おい!ルキア!!』
尺魂界で必死に叫んでいる恋次の声を素通りし、ルキアは涙に震えた声を絞り出す。
「私は・・・来るべきでは、なかった・・・」
『ル・・・!!』
なおも叫ぶ声を断ち切るように、ルキアは突然ボタンを押して通信を中断する。
ルキアはその小さな機器を抱き締めたままその場にしゃがみこむと、声を殺し肩を震わせ泣いた。