一護。

なにかひとつを護れるように。
そう願いをこめ、つけられた俺の名前。
それは成長するにつれ、家族や友人、俺の周りの全ての人を護れるようになりたいと思うようになった。


でも、今は。


今、許されるなら、ひとつだけ。


他の大事な全てを失うことになったとしても、
俺はそのひとつだけ、全身全霊をかけて護りたい。

我侭で強がりで、その癖妙に儚くて。
見ているとその危うさと高潔さに、苦しくていつも胸が締め付けられる。

側に居たい。

側にいて、護り続けたい。

孤独を癒し、安らぎを与える為に。


お前の側に。



ルキア。



お前、だけを。





第十話 『未来』





今夜もぼんやりと屋上の手すりに身体を預け、ルキアは街を眺めていた。
しかし突然、馴染みない奇妙な霊圧をごく近くで感知し、身を起こし厳しい表情でそちらを睨む。

(一体、誰の霊圧なんだ?!)

その霊圧は急速に速度を増し、こちらへ真っ直ぐやってくる。
ボンヤリし過ぎたルキアは、反応が鈍くも慌てて臨戦態勢に入ろうとした。

よくはわからないが非常事態には違いない。
ルキアは義骸を脱ぎ捨て死神化しようとした瞬間、その霊圧は目の前にあった。


そして信じられない光景に、ルキアは一瞬呼吸することすら忘れ驚きに目を見開き、動きを止める。





「ルキア!!」





一護が。


もう二度と会うことはないであろうと、


もう姿を見ることもないであろうと覚悟した、


一護が、


そこに、いる。


しかも、


懐かしい死神の姿で。


死覇装をなびかせ、





空からルキアを見下ろしていた。
 





突然のことに呆然としたルキアの側に、一護はすぐに降り立ち、逃げられぬようその腕を掴んだ。

「!!・・・い、一護・・・手を・・手を離してくれ!!」
ルキアは突然の事に狼狽しながら、なんとか手を振りほどこうともがいてみせた。

「・・・ルキア。もう、絶対に離しはしない。」
「・・・え?」

一護の真摯な声に、ルキアはもがくのをやめ、至近距離で視線を交差させる。

一護の目にはなんの迷いや不安もなく、真っ直ぐにただルキアだけを見つめていた。
ルキアにはその視線が痛く、思わず顔を背けてしまう。

「な・・・何を言っている!一護!貴様にはもう・・・!」

「井上とは、ちゃんと話し合ってきた。だから、ルキア。お前を迎えに来たんだ。」

「!!・・・な、何を言っている?」


一護の意図する意味が図りきれず、ルキアは思わず一護を見た。
一護は真っ直ぐにルキアを見ると、静かな声で語りかける。


「ルキア。」
「・・・一護。」
ルキアは一護に魅入られ、自然とその名を口にした。



「ルキア。お前が一番大切だ。・・・家族より、友達より。誰よりも、お前一人、護っていきたい。」



「・・・・!!!」



思いがけぬ一護の言葉に、ルキアは更に瞳を大きく見開いた。



ここにいるのは、本当に一護か?

今、聞こえた言葉は現実か?


ルキアはなにもかも自分の都合良い幻に思えたが、自分の手を力強く掴む一護の手の温もりは間違いなくここにある。


「井上にも、お前が大切だって話してきた。・・・だから、ルキア。もうなにも心配しなくていいんだ。」


ルキアは何も答えることが出来ず、驚愕に目を見開いたまま黙って一護を見つめていた。
一護もルキアを見つめたまま沈黙を守る。


時間が、止まったのではないか。


それは長かったのか一瞬だったのか、判然としない時間が過ぎ、やがてルキアは震える唇をゆっくりと動かした。

「・・・一護。その、姿は、どうしたのだ?」
「ん?これか?」

最初に出てきた言葉が自分の言葉への返答でないことに一護は苦笑いしながら、一護は死覇装の袂を振った。

「これはな、浦原さんからの救援物資だ。」
「・・・浦原の?」

意外な人物の名に、ルキアはまたしても目を見開く。

「あの人、人間が飲んで一時的に死神の力が宿る薬を作って、地獄蝶に持たせて送ってくれたんだ。
仕事忙しいんだろ?一体なにやってんだよ!って感じだよな。」

一護は笑い、ルキアは呆然としたままだ。
それから一護はルキアに向き直る。

「・・・薬と一緒についてた手紙に、お前のこと頼むって書いてた。
・・・崩玉の件でお前にはずいぶん苦労かけたから、今は絶対に幸せになってくれなきゃ困るって。
浦原さん。ずっと、気にしてたんだな。」


「!!・・あ、あやつは、まだそんな事を気にしていたのか?!」
「・・・浦原さんだけじゃない。皆、お前のこと心配している。」
「一護・・・。」

「恋次が来たのは知ってるだろ?あいつもお前が心配でわざわざ来たんだ。
あいつのお陰で、俺は逃げることを止めた。自分の本当の気持ちに素直になれたんだ。・・・だから。」

一護は熱をこめルキアを見つめた。

「悪かった。本当に俺が悪かった。ごめんなルキア・・・。俺が餓鬼だったから・・・俺が、弱かったから・・・。
お前も井上も・・・恋次も石田も・・・全部巻き込んで、惑わせて・・・辛い思いをさせた。
でも、それでひとつだけ、わかった事がある。」

一護の眼差しの熱さに押され、ルキアは眩しげに目を細めた。





「俺が一番大切にしたいのは、やっぱりお前しかいない。
・・・ルキア。俺の側に、いて欲しい。」





ルキアは決めていた。

もう泣かないと決めていた。

一護と織姫が付き合うと聞かされ、泣くのはあの日限りで、もう決して泣かないと。

一護が幸せなのに、なぜ私がメソメソ泣かねばならないのかと。

自分自身に強がり、泣くことをやめた。


しかし一護からの言葉を聞いたその瞬間、ルキアの瞳が涙に潤む。


その熱い想いの雫は一筋ルキアの頬を滑り落ち、ルキアは必死に一護の胸に飛び込んだ。


「一護!一護!・・・良いのか?・・・私がお前の側にいて・・・本当に良いのか?」

涙に咽び、ルキアは夢中になって叫んだ。


一護を失い、


胸が痛くて、


辛くて、


苦しくて、


悲しくて、


寂しくて、


そしてやけに心細くて。


どこにも居場所を見出せない現世で、壊れそうな想いを胸に一人ぼっちで夜を過ごした。


なのに今、ルキアは暖かく力強い一護の腕の中、子供のように泣き続ける。



ルキアが安心して、無防備でいられる唯一の場所で。



そして一護はルキアを安心させるため、少しだけ強くルキアの身体を抱き締めた。



「お前がいいんだ。ルキア。お前じゃなきゃ、もう他に、誰もいらない。」



一護はルキアの艶やかな黒髪に顔を埋め、心の底から安堵に満ちた熱い溜息を吐き出した。



「会いたかった。お前がいなくなって、俺はお前のことしか考えられなかった。
すごくお前に、会いたかったんだ。」



ルキアは答えることもできず、一護の腕の中でひたすら涙を流していた。
 

 

 

屋上でルキアを見つけだし、一護はルキアと共に自宅へ戻った。
残った短い時間は、ルキアの望むとおりに遊んで過ごし、あっという間に時は過ぎてしまった。

それから二日後の夜、ルキアは尺魂界へ戻るため門の側まで送っていった。

「・・・ここで良い。」
「・・・あぁ。」

二人は言葉少なく、なんとなく互いの顔も見れず黙ったまま立ち尽くした。

「・・・こちらの夏は本当に暑かったな。お前も体調だけは気をつけたほうがいい。」

「・・・そうだな。」

「・・・勉強せねばならん時期に、付き合わせてしまってすまなかったな。」

「・・・いや、別に・・・」


「・・・井上には悪かったが・・お前といれて・・・本当に、楽しかったよ。」

「・・・ルキア。」


一護はその小さな身体を腕の中に閉じ込める。

なんて華奢で折れそうに細い、小さな身体なのか。
抱き締めるたび、一護の胸に甘く疼く痛みがはしる。



『行かせたくない』



決して言葉に出来ない気持ちが、一護の中で膨らんでいく。



ルキアは一護の胸に顔を埋めたまま、小さな声で囁いた。

「・・・次、いつこちらに来れるか・・・まだ、わからない。
でも、都合がつき次第飛んでくる。・・・だから!」

「いいんだ。ルキア。無理しなくていい。俺は、もう大丈夫だ。
いつまでだってお前を待っていられる。だから、無理して倒れるまで仕事したりするな。
・・・俺は、そっちのほうが心配だからな。」

「・・・一護。」


そして一護はルキアの顔を上向かせると、触れ合うだけの優しいキスをする。


二人の吐息が絡み合う。


「俺は、待ってる。

どんなに長い間連絡が途絶えても、ずっとずっとお前だけを待っている。


・・・だから、お前は安心していていい。

俺達は、ずっと一緒だ。」


一護の言葉にルキアは頷く。
嬉しさに泣きそうになったが、ルキアは気丈に笑って見せた。

「そう心配せずとも連絡ぐらいいれてやる!・・・だからお前は勉強をしっかりやれ。」


そして今度はルキアの方から一護の顔を両手で挟み、自分の方へ引き寄せ小鳥が啄ばむような軽いキスをしてから急いで数歩駆け出した。

そして振り返ると、ルキアは満面の笑みを浮かべて叫ぶ。


「ありがとう一護。受験頑張るのだぞ!・・・では、またな!!」

「おう!お前も無理すんなよ!・・・俺は、いつまでも待ってるからな!!」


ルキアは笑った顔のまま力強く頷き、そして一筋涙をこぼした。


そしてすぐ背を向け、闇夜に向かって跳躍すると、すぐその姿は弾丸のように飛び去ってしまう。


「俺は・・・待ってるから!!!!!」


その背中に向かい、一護は同じ言葉を繰り返し叫んだ。



真夏の夜はやけに明るく、一護の声もすぐに散り去ってしまったが、一護はいつまでもルキアの消えた空を見上げたまま、その場から動けずにいた。
 

 

ルキアが尺魂界へ帰ってから三日後、一護は啓吾に呼び出され、ファーストフードの固いソファに座っていた。

「・・・ったく、俺はお前と違って、受験生なんだけどな。」
「なーに冷たいこと言うんだ一護?!皆勉強勉強って俺の相手をしてくれないんだぞ?!
結局今年も海には行けなかったし・・・俺が寂しくて死んじゃったら、どーすんだよぉ?!」
「いや、別に。どーもしない。」
「え?即答?!」

いつも通り騒々しくわめき散らす啓吾の相手をしていると、クスクス笑いながら水色が近づいてきた。
水色は今年も相変わらず、年上の彼女とそのお友達とで海外へ旅行しているため、受験生とはとても信じられない程いい色に日焼けしていた。

「久しぶりだね一護。どう?勉強すすんでる?」
「最近やっと、始めたばっかだよ。」
「へぇ〜?珍しいね。まさか啓吾じゃあるまいし、遊んでた訳じゃないんでしょ?」

そう言ってから水色は、しげしげと一護を眺めた。
「でもずいぶんいい色に焼けてるよね?まさか本当に遊んでた訳?」
「・・・色々、あってな。」
「ふぅ〜ん。色々。ね。・・・そういえば一護、夏休み前と雰囲気違くない?一体なにがあったのかなぁ?」

そう言って水色は、意味深な表情でじっと一護を見つめた。
一護は水色の目に全て見透かされてしまいそうで、慌てて視線を外すとジュースを吸い込む。

「おおおおおおおい!小島!俺は?俺には?!なに普通にスルー状態?なんで挨拶しないの?!」
「あ、浅野さん。いたんですか?相変わらずお元気そうでなによりです。」
「け、敬語はやめてぇぇぇぇぇ!!!」
水色は微笑みながら挨拶代わりに啓吾を苛め、期待通りに啓吾は青ざめ泣き崩れる。

「っつーか水色。お前ずいぶん余裕だな。お前も大学行くんだろ?」
「あぁ。僕はキミと違って、自分の学力に見合った、お金さえ出せば大体OKな所だから。」
「小島!合コンだ!お前が大学入ったら、すぐ合コンするぞ!」
「え?浅野さん。お金持ちのお嬢様方相手に、何のお話をするつもりなんですか?」
「いや!敬語いやだぁぁ!!!寂しくなるから、敬語やめてぇぇぇ!!!」

いつもの生活。いつもの光景。
ほんの二週間前まで教室で見慣れた風景。
なのになんとなく違って見えるのは、一護の心が安定しているからだろう。


本来ならば大学受験の為、一分一秒を惜しみ勉強すべき高校生活最後の夏。
一護の中の雑念は消え去り、やっと勉強に集中できる環境になっていた。
目の前で無邪気にじゃれ合う二人を見ていて、自然と一護の口元が緩んだ。

「・・・どしたのさ。一護?なに笑ってるの?」
その様子を水色に目ざとく見つかり、気味悪そうに言われてしまった。

一護はあぁと誤魔化し紛れに大きな窓から真っ青な空を見上げ、眩しげに呟いた。


「・・・今年の夏は、暑かったな。」


一護の言葉に啓吾も水色も目を丸くする。

「ど、どどうした一護?!まだまだ夏だぞ?!まだ夏休み入って二週間ちょっとしかたってないんだぞ?!」
「なに?受験勉強そんなに大変?無理しないでランク下げたら?」

様子のおかしい一護を気遣う二人の様子に、一護は苦笑し、それからまた空を見上げる。


織姫から告白されて始った一護の夏は、ルキアが尺魂界へ帰った日に終わっていた。


皆それぞれの想いを叫び、夏の暑さに焼け焦げ抜け殻になってしまった。



なんて短く、暑かった夏。



もしかして、空を飛ぶようになった蝉よりも、短かったかもしれない。
 

 

今度いつ再会できるかわからない。


でも、一護もルキアも迷わない。


互いに唯一の存在であると認め合い、心から信頼出来る者だから。


次に会えるのは五年、十年後になるかもしれない。


いつまでも待つとしながら、不安になる夜もあるかもしれない。



でも、一護は忘れない。



夏が巡り来るたび、蝉の声がするたびに。





ルキアだけを、追い求めた苦しい夏を思い出す。





皆が思いの丈をあらん限りに叫んび、傷つき傷つけた夏。





そして、自分にはルキアしかいないと思い知った、あの暑い夏の日々を。





だから大丈夫だ。

 

 

俺達の想いは、ひとつ、だから。





<空蝉の夏・完>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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