俺は今井上に言われたことを、頭の中で繰り返す。
井上は顔を伏せたままなので、表情は見えないがその身体が小さく震えている。
季節は夏。その震えは外気温のせいじゃないってことぐらい俺でもわかった。
そして、俺は頭の隅に住み続ける黒髪の小さな死神を思い出す。

(ルキアーーーーー)

俺は目を細めその少女の名を胸の内で呟き、それからその名を息と一緒に吐き出した。
その大きな溜息に井上は反応し、不安げな表情で顔をあげる。
俺はそんな井上の瞳を見つめ、それから呟く。

「・・・いいぜ。付き合おう。」

俺の言葉が理解できなかったのか一瞬井上は呆然とした顔をしていたが、次の瞬間には顔を真っ赤に染め嬉しそうに涙ぐんだ。
「――う、嘘じゃないよね?!黒崎くん!本当に、本当に私と付き合ってくれるんだよね?!」
「・・・嘘なんかつかねぇよ。」
「あた、あたし、あたしーーーすごい嬉しい!!」
とうとう目の端から涙を溢し、それでも井上はとても嬉しそうに笑う。
俺はなんとなく井上を直視できなくなり、そっと視線を外して夕日に燃える空を見上げた。

今日は終業式で授業もなく、受験を控えた勝負の夏だと担任に渇をいれられたが、
既に専門学校行きを決定した気楽な啓吾に誘われ、いつものメンバーでボウリングに行った帰り道、追いかけてきた井上に突然告白された。

井上は幾度も激闘を共に乗り越えた仲間であり、男子生徒からの人気も抜群で、俺から見ても普通に可愛いとも思う。
真剣に告白され、正直にいえば今まで彼女に恋愛感情を抱いたことはなかったが特に断る理由が見つからなかった。

だから深く考えず、付き合ってみようと思えた。

だけど、それと同時にアイツを思い出す。

最後にアイツに会ったのはいつだったか。
俺が死神代行として世界を救う戦いが終わり、アイツは尺魂会へ戻ったきり会っていない。
再び出会う約束もないまま年月は流れた。

高校最後の夏休み前日に、一護は眩しげに夕日を眺めた。

空は夏特有の濃いピンク色に空は燃え上がっている。


今年の夏も暑くなりそうだ。




    
う  つ  せ  み
『空蝉の夏』

第一話 『再会』




夏休みに入って一週間。その日は突然やってきた。

井上とはお互い大学受験を控えた身なので今のところ二人で会うことはなかったが、
二日に一度のペースで電話がかかってきて十分ほど話す生活が形成されていた。

他愛のない会話。あまり弾まないまま気遣う井上がいつも先にそれじゃあと切り上げた。

携帯を持たない俺は家の電話を切り、ぼんやりしたまま軽く溜息をつく。
付き合うと決めたのは自分自身なのに、俺は一体なにをしているのか?
井上に余計な気を使わせ、後ろめたい気持ちに受験勉強にも身が入らない。
だめだ、このままじゃ。
それはわかっている。わかっているのに気持ちをうまく切り替えられない。

自分でも知らなかった己の女々しさに、一護は最近すっかり癖になった暗い溜息を吐く。

「・・・一兄。あたし電話使いたいんだけど?」
「?!か、夏梨!なんだ?!びっくりさせんなよ!」
「・・・さっきからずっと声かけてたよ?」
呆れ顔で妹に言われ、俺はそうかとだけ呟くと慌てて部屋へ戻るため階段を駆け上がった。
「・・・お兄ちゃん、どうしたんだろうね?」
心配顔の遊子が夏梨の隣にやってきて階段を見上げた。
「夏休み入ってずっとあんな調子なんだもん。心配だよう。」
「一兄だってお年頃なんだから、今は放っておいてあげなよ。」
「うん・・・でもぉ・・・。」
幼い妹達の心配する声から逃げ出すように、俺は自室へ飛び込む。

部屋の扉を閉めほっと息つく瞬間に、部屋の中から声をかけられた。

「邪魔しているぞ。」

「―――――?!」

後ろを気にしながら扉を閉じた瞬間に聞こえた懐かしい声に、俺は言葉を失った。

真っ暗な部屋の中央に立ち尽くす小さな影。
その気配、その声、俺が間違うはずもない。
慌て手探りで部屋の明かりを点け、光の下にその者を照らし出す。

「・・・っ!ルキア・・・!」

「久しぶりだな。一護。」

俺の切羽詰った声とは違い、ルキアは親しげに言葉を返す。

写真もなにもなく、記憶のみで写していた彼女と寸分違わぬ姿でルキアは優しく微笑んでいる。
俺は驚きと困惑で何も言葉が出てこなかった。

「どうした?なにをそんなに驚いている?」

ルキアはひどく驚いた俺の様子が可笑しいらしく、くすくすと忍び笑いを漏らしゆっくりと近づいてきた。
俺はまだ混乱したまま、ルキアを目で追う以外なにも出来ず扉に背をつけ硬直したままだった。
やがて俺の目の前で立ち止まったルキアは、背伸びしながら手を伸ばし俺の頭に触れた。

「少し、伸びたか?」

俺は答えることも出来ず、間近にあるルキアとゆう存在を凝視する。

ルキア。

幻ではない。本当にルキアだ。
ルキア。
ルキアが俺の目の前に、間違いなく立っている。

本当に、幻ではない。

ルキアだ。

頭に触れる小さな手の感覚に突然泣きそうな衝撃を覚え、俺は慌ててルキアの横をすり抜け遠ざかる。

「一護?」

「あ、あぁ・・・少し、伸びた。お前は、相変わらずちっせぇなぁ。」

「なに!余計なお世話だ!」

ルキアに背を向けたまま対面を整えようとわざと憎まれ口をきいてから、俺は秘かに深呼吸をする。
幾分気持ちを落ち着けてから、覚悟を決め振り返りルキアを真っ直ぐ見つめる。

「どうした一護?おかしな顔をしておるぞ?」

ルキアの指摘になんでもない風を装い、昔のように憎まれ口を叩く。
「悪かったな。これが地顔だよ!・・・で、お前は今頃どうして来たんだよ?」

「あぁ、尺魂界も色々混乱していてな。もっと早く連絡しようと思っていたが忙しくて、ずいぶん時間がたってしまった。
一応名目上は次元の不具合がないか現世の見回りだが、本当を言えば私が来たかっただけだ。

休みなく働き、やっと一種間ほど休みがとれてな。皆どうだ?変わりはないか?」

「・・・あぁ、元気にしてるさ。」

「そうか、それは良かった。」

ルキアは安心したように頷き、ニッコリと微笑む。
記憶ではない現実にある微笑みを目の当たりにして、一護は眩暈に似た幸福を感じる。
だがその一方で、ルキアと会えた喜びにひたりきれない感情が影濃く胸を侵していた。

(何故今頃現れたんだ?・・・一週間。あと一週間早かったらーーーー)

一週間前に再会していれば、今とは全然違う気持ちで会えたのに。
一週間遅くやって来るなら、来ないでくれれば良かったのに。

口惜しい悔しさと、悲しさで一護の心は激しく揺れた。

しかし今は、何を思っても遅すぎる。

「どうしたんだ一護?」
暗い表情で黙り込む一護に、訝しげな表情でルキアは少し近づいてくる。
しかし一護はルキアから顔を背け、ベットの方へと移動する。

「な、なんでもねぇよ!・・・最近暑いから、少し夏バテ気味なんだ。」


「なんだ男がだらしない。ずいぶんひ弱になったものだな。」

「うるせーほっとけよ。」

一護はベットへと腰掛け、緊張で溜まった息を吐き出した。
しかし、そんな一護の様子に気付かぬルキアは、楽しげに今後のプランを語りだす。

「折角なので骨休みを兼ね一週間現世に居る事にした。当然ここにいる間、この押入れを借りるぞ。」

「なんで当然なんだよ!」

懐かしいやり取り。はドキドキして胸が苦しい。
だが、嬉しさが胸にこみ上げるたび、影のように後ろめたい気持ちが濃くなっていく。

本当にどうして今頃―――

「そうだ!井上も元気にしているか?」

ルキアの言葉に俺は胸が潰れそうな感覚に陥った。

「・・・あぁ、井上は元気だ。」
「そうか!明日にでも会いに行ってこよう。」

ルキアにとって井上は初めて出来た友達だ。
俺達の今の関係を黙っていていいはずはない。
なのに俺の胸は潰れたように重苦しい。
喉に小石が詰まったように苦しく、言葉を発するのがこんなにも難しいなんて。
浮かぬ表情で黙り込む一護に気付かず、ルキアは楽しげに話し続けた。

「一護!早速井上に連絡をとってくれんか?明日にでも私が会いたいとーーー」

「―――俺達!」

俺は精一杯掠れた声を張り上げ、ルキアの言葉を遮った。

ルキアは突然あげられた大声に、びっくりした表情で固まっている。
決心が鈍らぬうちに、喉の小石を跳ね除け俺は必死で言葉を紡ぐ。


「・・・俺達、付き合ってるんだ。」


その声は石の様に固く重く、二人の胸に沈んでいった。

 

 

 

 

 

尺魂界では恋次が庶務室でたくさんの書類を前に、開けられた障子から覗く夜空をぼーっと眺めていた。

「筆が止まっているぞ。」

「!!!っ、く、朽木隊長!!」

突然背後から隊長の声が聞こえ、恋次はびくりと身体を震わせる。

「あっ、あっ、いや!サボってたんじゃないんすよ?!ただ、ルキアはもう着いたかなー・・・って・・・」
しどろもどろに言い訳する恋次を一瞥し、白哉は窓際に移動し恋次と同じように空を見た。

「先程無事現世に着いたと連絡があった。・・・今から黒崎一護の家に行くそうだ。」
「そっすか・・・なら、良かった・・・。あいつ今回の休み取るためにずいぶん無理して働いていたから・・・」

白哉の言葉に恋次は力なく笑い、袖を巻くりあげ書類に挑む。
その様子を背で感じ、振り向きもせず白哉は問う。

「・・・よいのか。」
「・・・は?」
白哉に問われている意味がわからず、恋次はぽかんとした表情で白哉を見つめた。
しかし白哉は背を向けたまま、再び恋次に問いかけた。


「お前は、これでよいのか。」

ようやく問われた意味を理解した恋次ははっとし、反射的に口を開く。

「・・・俺はーーー」
一瞬言葉を詰まらせ、それから恋次は自嘲気味に笑を漏らす。

「俺は、あいつが幸せならそれでいいんです。」
「・・・」

「あいつ、本当にすっげぇ頑張ってずーっと働いてたじゃないすか?
なんでそんなに無理するんだって聞いたら・・・『一護が高校生でいる内にもう一度会いに行きたい』からだって。
俺達死神にとって二年なんて本当にどうでもいい位短い時間だけど、人間にとったら人生が変わる長い時間で、
高校を卒業したらまた違う一護になるって・・・。だから急いで会いに行きたいんだって・・・」

「・・・」

「だから、ルキアがしたいようにすればいいんです。あいつが笑っていられるなら、俺はそれでいいんです。」

「・・・そうか。」
白哉はそうとだけ言い残し、踵を返し庶務室を出て行った。

一人取り残された恋次は情けない笑みを貼り付けたまま、また空を見上げる。
厚い雲に覆われた夜空は、恋次の本心と同じように暗く重たく全てを包み込んでいた。

せめて星が見えれば。

闇の中に一粒の光。

寂しい負け犬の気持ちを少しは慰めてくれるのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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