なぜ、大事な人程、俺の前から、消えようとするんだろう。
大事なのに。
大切なのに。
ずっと傍に、いたいのに。
どうして俺なんか庇い、一人、逝こうとするんだろう。
ルキア。
お前を失くすくらいなら、俺は自分を失くしたほうが、マシなんだ。
でも、俺がそんな事を思っているなんて、お前はきっと、知らないんだろうな。
『 未来 の 約束 』 第5話
石がごろごろと転がる足場の悪さに躓きながら、随分かかってやっとルキアは船へと辿り着く。
ひどく粗末なこの船は、近づくと想像以上に古い上に痛みが激しく、五人も乗れば転覆するのではないかと不安にかられる程小さいものだった。
しかしルキアは、わかっていた。
この船は決して沈む事無く、確実に向こう岸へと自分を導いてくれるものなのだと。
それは、これが唯一のこの世からあの世へと渡る船だと、なんの説明もなくここに来た者は確信できるのだ。
その船の舳先には、笠を目深に被った一人の船頭が座っており、
手にしたキセルから煙を吸い込み、煙をゆったりと吐き出しているところであった。
ルキアはその様を眺めながら、なんと声をかけようか迷い逡巡し立ち尽くしていると、
船頭は深く吸ったキセルからふいに口を放し、ルキアの方は見もせずにからがらに擦れた声をかける。
「乗るのか?」
「あ!は、はいっ!」
「そうか。乗るなら乗ってくれ。今日はこれで終まいにする。
これに乗り遅れたら、もうしばらくここで待つようだぞ。」
「は、はい!わかりました。」
突然話しかけられルキアは慌てて船へと乗り込めば、その振動に船はぐらぐらと揺れ傾ぐ。
これに座ったままの船頭もバランスを崩しそうになりながら、船の縁を掴んでしまう。
「おぉい・・・そんなに急がんでいいから、ゆっくり乗ってくれ。気をつけてくれんと、船が沈んでしまう。」
「すみません・・・・・初めてなので、どうしたらよいのか悩んでしまって・・・」
自分の粗相にしゅんとしたルキアが頭を垂れれば、船頭は少しだけ愉快そうに声を弾ませた。
「そりゃあ、ここに来るのは大概が初めての奴だ。
でもな、稀にはここから戻る奴もいるが、それも極少数だ。
・・・そーいやここ最近は、そんな奴はとんとおらんがな。」
「戻る?ここから、戻る事ができるのですか?」
「戻りたいのか?」
「いいえ。そうでは・・・ないのですが・・・・・」
戻りたいかと問われれば、即座にそれを打ち消すことは出来る。
それもそうだろう。
ルキアと生きる世界を繋ぐ『記憶』は、全て石に変え川原へと置いてきた。
一護を救う事が出来たルキアに生きる事への未練はなく、使命を果たした充足感さえあるものだった。
しかし、それでも感じる一抹の理由なき不安感に、ルキアは俯いてしまう。
そんなルキアの様子に、船頭はこの場所の説明をしようと慣れた調子で話しかけてきた。
「そうだな。・・・あんた。名前はなんだ?」
「名前ですか?私は・・・・・」
船頭からの問いかけにすぐにルキアは口を開くが、それ以上言葉が続かず呆然となる。
名前?
私の・・・名前?
つい先程まで知っていたはずなのに・・・
なぜだろう。今は全く思い出せない。
驚きに開けた口をそのままに、ぼんやりとしているルキアの様子に船頭は一人納得したように小さく頷く。
「覚えとらんだろ?
この船に乗る奴は、まず『名前』を。そして次に自分の中の『記憶』を失くしこの川原に置いていく。
『名前』と『記憶』が無くなる事で、あっちとの繋がりが途絶え、立派な『死者』になるんだ。」
「立派な・・・『死者』に・・・・・」
「『死者』で立派も妙な表現だが、ここではそんな仕組みだからな。
でもな、大概、皆なにかひとつだけは無くさずにやってくる。
死んでもなお無くさぬ『記憶』。それは『未練』と言い換えてもいい。
良いものも悪いものも、それがあんたの『業』であり、来世に続く『縁』にもなる。
お前さんの中に残った『記憶』は、なんだ?」
「私の中に、残っている・・・?」
問われルキアは、思わず己の胸を両手で押さえ、ゆっくりと目を閉じた。
川原に落とし空っぽになった自分の中に、たったひとつだけ残っている『記憶』
それは宝石のように輝き、確かにルキアの中で息づいていた。
見慣れた死覇装姿で、太陽のように明るい髪をした少年が、こちらを睨むように見つめ立っている。
いつも眉間に皺を寄せた無愛想な表情を、ルキアはたまらなく愛おしく思い、
また、彼の記憶を無くしていない事に喜びを感じ、震える声で、しかしとても大切に想いを込めて彼の名を呼ぶ。
「・・・・・一護っ!」
その時、ルキアの閉じた瞳から、涙が一筋、頬を伝い落ちていった。
「隊長!また脈が弱くなりました!」
「わかっています。勇音。そこではなく、もっとこちらを集中的に治療なさい。」
「はいっ!」
「・・・・・」
また慌しくなった場の雰囲気に恐怖を感じながら、一護はなにもできず無言で部屋の隅で立ち尽くし、
目を逸らす事無くじっとルキアを凝視していた。
すると、横たわるルキアの動かぬ瞼の奥から、一筋の涙がすっと頬を滑り落ちていき、
その瞬間、一護はルキアに名を呼ばれたような気がした。
「・・・・・・・・・ルキア?」
吸い寄せられるように、ふらりとルキアの側と歩み寄ってくる一護を、勇音は慌てて制する。
「だめです!隊長が治療中は、決して邪魔をしてはいけません!」
「今、呼ばれたんだ。・・・俺、ルキアに、呼ばれたんだ・・・!」
どこか焦点の定まらぬ瞳で、うわごとのように呟く一護の様子に、勇音は困ったように視線を伏せるが、
隊長の邪魔することだけはなにがあっても防がねばならず、少しだけ語気を強め、一護の前に立ち塞がっる。
「お気持ちは、お察します。でも、なにがあっても隊長の邪魔だけは・・・」
「・・・・・いいえ、勇音。折角ですから、手伝って頂きましょう。」
「えぇっ!?まさか・・・隊長!本気ですか!?」
治療の妨げを何よりも嫌う卯の花からの信じられない一言に、勇音は信じられない思いで振り向いた。
しかし卯の花は視線をルキアから離さず、淡々とし言葉を続ける。
「ええ、そうです。
体の機能は、なんとか回復できました。あとは、ルキアさん自身の生きる気力の問題なのです。
勇音。この方に、簡単な癒しの鬼道を教えて差し上げなさい。目覚めるように一緒に呼びかけてもらいましょう。」
「は、はい。・・・・・それでは、こちらへ。
手をかざし、貴方の力をわけてあげてください。」
ルキアのすぐ側に立つ事を許された一護は、教えられた通りに自分の力をルキアへと分け与えながら、必死な様子で語りかけた。
「ルキア。聞こえるか?
俺は、ここにいる。お前の、側にいる。
目を開けろよ・・・起きてくれ・・・ルキアッ!!!」
悲痛なまでの一護の叫びに、勇音は顔を伏せ、卯の花は黙って耳を傾けている。
しかし、それにルキアは反応する事はなく、ただ静かに横たわっているだけであった。
※2010.2.14
material by 戦場に猫