『 もう一度、 闇に 降る 雨 』 (現代パラレル 未来編5)

ルキアは帰り支度を済ませると、夜に沈んだ暗い外の様子を館内から窺った。

雨が、降っている。

ルキアがギンの元から逃げ帰り、程なく空は雨を落とし続けていた。

しかしルキアは、以前より確実に雨に対する恐怖心が薄れてきている。
前は海燕の死んだ月の雨が大嫌いで、雨音が聞こえると、同調するように偏頭痛をおこしたものだ。
でも今、それほどひどく痛むこともなく、確実に傷が癒えてきているのを自分でも感じていた。

そして自分がそのように強くなれたきっかけをくれたあの男を思い、胸の奥が痛み続けているのも感じている。

突然の雨にルキアはロッカーに常備している置き傘を手に、ぼんやりと外を眺めていた。

あの後奴はどうしただろう?雨が降る前に帰っていればいいのだがーーー


「あ!良かった〜。まだ帰らないでいてくれて〜。探してたんだよールキアちゃん!」


低く渋みのある声が後ろから緩やかに響き、ルキアは思考を中断しハッとして振り返る。

長いウェーブをひとつにまとめ、室内でも常に被っているトレードマークのソフトハット。
図書館には不釣合いなお洒落なスーツを着こなす背の高い伊達男がルキアに向かって歩み寄って来た。

「京楽館長。お戻りになってたんですか?」

ルキアの呼びかけに京楽は、曖昧な笑みを浮かべた。

「ん〜・・・浮竹の所でお茶してたら、いつの間にか寝ちゃったみたいでねぇ。」

浮竹とはこの近所に住む京楽の同級生で、自宅で子供相手に書道教室を開いている書道家である。
家がこの近所にある為、図書館へも度々顔を出し、いつもルキアや七緒に飴や菓子を土産にくれた。
体が弱く臥せりがちだが、親達の信頼が厚く、突然の休みが多いにも関わらず教室はいつも賑わいをみせていた。
京楽はしっかり者の七緒に仕事を任せては、浮竹の所でだらだらとしている事が多い。

「それで、さっき戻ったばっかりなんだけど、ちょっと、大変なことを忘れててねぇ。」

「大変ですか?」

「それがさぁ。明日までに揃えて貸し出す予定の本があるんだけど、連絡するのをすっかり忘れててねぇ。
さっき七緒ちゃんに言ったら、一人で書庫に篭っちゃって・・・。
手伝うって言ったんだけど、僕がいるとかえって時間がかかるから、一人でいいって断られちゃったんだよ〜。
でも結構量があるもんだから、帰るところ本当に悪いんだけど七緒ちゃんの手伝い、してあげられないかな〜?」

京楽のこのような申し出はなにも珍しいものではない。
さすがの七緒も全てを管理しきれることはなく、特に館長あての用件はうっかりと取りこぼされ、後に七緒へ迷惑をかけることになる。

「もちろんです。すぐに参りましょう!」
ルキアは手にした傘や荷物をカウンターへ置くと、すぐに書庫へと向かおうをした。

「あぁ〜っと、待って!その前に、ちょっとだけ、いいかな?」

「・・・はい?どうか、されましたか?」

「こんなこと聞くのはセクハラかもしれないから、嫌だったら答えなくていいからね?」

「は・・・はぁ。・・・どういったお話でしょうか?」
普段の京楽らしからぬなんだか微妙な言い回しに、ルキアは自然と身構え緊張気味に京楽へと向き直る。
しかし京楽は、ルキアの緊張をほぐそうとゆったりとした笑みを浮かべた。

「ルキアちゃんは、お相手が、いるのかな?」

「お相手・・・ですか?」

「つまりは恋人。なんだけどね。もし、いないようであれば、浮竹なんてどうかと思ってね?」

突然の申し出にルキアは驚きでやや表情を強張らせると、京楽は慌てて言った。

「あぁ!あいつが言ってたわけじゃないんだけどさぁ。
すごくルキアちゃんを気に入ってるようだし、確かに体は弱いけど、すぐすぐ死ぬってほどでもないし。
誰か側にいてくれれば、あいつも心強いんじゃないかってねぇ。
お節介だとは思ったんだけどさぁ、黙っていられなくって。
どうかなぁ?浮竹のことは、どう思う?やっぱり歳が離れてるから、おじさんとしか思えないか?」

京楽の意図を知り、ルキアはひどく申し訳なさげに俯き、小さな声で呟いた。

「・・・浮竹さんは、良い方です。優しく聡明で、暖かなお人柄が感じられる、素晴らしい方だと思っております。
・・・ですが、すみません。私には・・・決めた相手が・・・いるのです。」

「あぁ?それじゃあやっぱり昼間来た人?」

「?!!・・・な、なぜそれを・・・?」

日中いなかった京楽の口からギンの事が飛び出し、ルキアはぎょっとして京楽を仰ぎ見た。

「んん?七緒ちゃんが言ってたよ?
ルキアちゃんが、見た事ない勢いで怒鳴ってたって。
それに一緒に出て行って戻ってきたらなんだかずいぶん様子が違ってたってねぇ。
それって、その人には本当に心許してるからじゃないのかい?」

普段冷静なルキアの狼狽ぶりに笑みを浮かべた京楽から、ルキアはまたそっと視線を外し無意識のうちに俯いていた。

「・・・あの者は・・・違います。色々世話にはなりましたが、私の相手では・・・ありません。」

「本当に、そうかなぁ?ずいぶん、苦しそうな顔しているよ。」

「・・・そう、でしょうか・・・?」

そう言うと思いつめたように押し黙ってしまったルキアを、京楽は不思議そうに見つめると、
やはり湧き出た好奇心を抑えきれずに、ルキアに話の続きを促がした。

「じゃあ失礼ついでにもうひとつ。その決めたお相手は、どんな人なの?」

「・・・幼馴染です。いつも側で私を支えてくれた者です。長い間私を想い続けてくれました。
私はその想いを知りながらも、答える事が出来ずに、今まで気付かぬふりをしておりました。
・・・ですが、そろそろ長年のその想いに、報いるべきかと思いまして・・。」

「ん〜?おかしいねぇ?好きだから、ってわけじゃあないのかい?」

「・・・もちろん、好きです。」

「どんな好きなの?」

「どんな・・・?」

「その人を想って胸が苦しくなる?会いたいと思う?側にいたいって・・・思っているのかなぁ?」

「・・・少し、違います。その者とは、もう長い付き合い。
一種の家族のような存在ですので、そのように胸焦がす想いとは違います。
・・・ですが、これからは、その者の隣にいるようにしようと・・・」

揺れたこの想いを誰かに聞いて欲しかったのか、ルキアは尋ねられるままに素直に自分の気持ちを吐露していき、
それを聞いた京楽は、たまらず苦笑し思わず言った。


「ずいぶん、義務的なんだねぇ?」


「・・・!」


胸の真ん中を射抜かれたような感覚に、ルキアは一瞬身体を震わせ言葉を失った。

「あぁごめんごめん!言い方が悪かったね?悪気はなかったんだけど、ずいぶんと声に、気持ちがこめられてなかったからさぁ。」

「・・・気持ちが・・・ない・・・?」

「そうだねぇ。一緒にいたいより、一緒にいなければ。そんな風にしか、聞こえなかったよ?」

「そう・・・です・・か・・・」

不安と動揺にルキアの心は、振り子のように揺れ続ける。
この不安感には覚えがある。
長年失った心を取り戻し、やっと海燕の雨の鎖を断ち切ったのに、私はまた別の鎖を手にしてしまったのだろうか?

激しく動揺しながらも、素直に京楽の言葉に耳を貸すルキアの様子に、京楽は安心させるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「なんか、余計な事いっぱい言っちゃったけど、最後に、人生の経験者からもう一言だけ、言わせてくれる?」

「・・・・はい。」


「恋愛において、時間は無意味だよ。」

ルキアの瞳が僅かに見開かれ、京楽は帽子を手に取り胸元に押し付けた。

「長く一緒にいるからって、好きになるもんじゃないよねぇ?
人によっては落ちるときは、一瞬で落ちてしまう。
頭じゃなく、理屈じゃなく、心が惹かれてどうしようもなくて、問答無用に落ちていく。

そこに説明なんてできないよ。だって好きになっちゃうんだから。少なくとも、僕はそうだなぁ。

常識も道理も時間も関係なんてなくて、ずっと想っているから必ず返してもらえるもんじゃない。
時に美しくも残酷だよ。そんなもんじゃないのかなぁ?恋ってもんはね。」

「・・・すみません。恋をしたことがないので、よく、わからないのです。」

京楽は手にした帽子をかぶり直し、その下からひそやかにルキアの様子を観察すると、
ルキアは心細げに俯いてしまい、思いがけないこの返答に、
京楽はくすりと笑いこの不器用な娘を見下ろし、できるだけ明るく気軽な調子に声音を上げた。

「そんなに難しく考えずにさぁ、正直になってごらんよ。」

「・・・正直、ですか?」

「ルキアちゃんの心が、誰を必要としているか。
色んなしがらみを忘れて、誰を求めているのか、自分の心に聞いてごらんよ。
もちろん、それが正しいことばっかりじゃないけど、それでも今の君には必要なことなんじゃないのかな?
聞けば案外簡単に、色々わかっちゃうかもしれないよ?」

「心が、求めること・・・」

「愛の形は様々であれど、自分を求めてくれもせずただ側にいるだけなんて、淋しいじゃないの。
それって振られるよりも、よほど相手を傷つけることになるでしょう?
どうせなら、自分が求め求められる人と一緒にいるべきなんじゃない?」

「・・・」

京楽はあくまでも優しく諭すようにルキアに語り、どうすべきかわからぬルキアは無言で視線を漂わす。
恋愛のイロハも知らぬ娘の困惑を感じ取り、京楽は困ったような笑みを浮かべた。

「余計惑わしちゃったかな?勝手なことばっかり言ってごめんよ〜。
・・・さて!それじゃあ七緒ちゃんの手伝いに行こうか?本に埋もれて今頃角が生えてるかもしれないし。
終わったら三人で食事に行こうよ。もちろん僕が奢るからねぇ〜」

「は、はい・・・!」

京楽に促がされ、ルキアは書庫へと歩き出す。しかし胸中ではゆらゆら揺れ動き、ひどく惑う心を感じていた。

 

 

 

その後結局ルキアが図書館を出たのは、午後十時を過ぎた頃だった。

「・・・思ったより、量が多かったな。」

九時前には終わらせられると思っていたが、後片付けなどしていてこんな時間になってしまった。
それでも明日は休みだし、取り急ぎの用もない。
京楽には手伝ってくれたお礼に三人で食事をしようと誘われたが、二人の仲を察せぬ程鈍いわけでもなく、
邪魔をせぬようルキアは丁重にお断りをして一人館から出て来た。

小雨がそぼ降る中、ルキアは駅に向かおうとして、ふと昼間ギンと会った公園の方を振り返る。
駅とは逆方向ながら、歩いて五分程しか離れていない。
ここからでも公園入口に設置されている水銀灯の明りが見えた。

ルキアはなんとなく。本当になんとなく、公園に立ち寄ってみる気になった。

明確な理由があった訳でもなかったが、無意識のうちに、
ギンと最後に会った場所を、今日のうちにもう一度確認したくなったのかもしれない。

ルキアは少しだけ勢いの衰えた雨が傘を叩く音を聞きながら、ふらふらと公園へ向かう。
少し前の自分なら、こんな雨の中寄り道をしようなど決して思わなかったはずなのに。
そしてなぜ自分が、雨の中わざわざ公園を目指すのか。

ルキアは自分の確実に強くなった部分と、今までなかった感情の脆さを感じながらすぐ公園に到着した。

ギンと会っていたのは、公園に入ってすぐのベンチの辺りだ。

小さいながら、さすがに公園内にこの時間女一人で入って行く気にはなれず、
入口付近からそのベンチへと視線を送り、ルキアはびくりと身体を強張らせ動きを止めた。


誰か、いる。

日中より勢いが衰えたとはいえ、まだ雨が降りしきる中、誰かが傘も差さずにベンチに座っている。

しかもそのシルエットに、ルキアは見覚えがある。
そう思った瞬間、ルキアの鼓動が俄然早まった。


―――まさか、そんな、だって!!


「・・・市丸!!」


ルキアは確証もないまま、驚きで思わず大声で叫んだ。

しかし、人影は動かない。

声を掻き消すまで雨音が強い訳でもない。ルキアの声が届いていないとは思えない。
ルキアは動揺のあまりその場に傘を取り落とし、ベンチに向かって走り出した。
あれほど嫌いだった十月の冷たい雨に濡れながら、それでもルキアは構わず走った。

近づくにつれ、それが間違いなくギンだとすぐにわかりルキアの動揺は激しくなった。

「市丸!おい、市丸!!なにをしているのだ、貴様!!・・・大丈夫か?!おい、しっかりしろ!」
ルキアは必死になって、ぐったりと座り込み反応のないギンの身体を揺さぶり声をかける。

「市丸!!」

「・・・あぁ。ルキアちゃん。・・・ルキアちゃんやぁ・・・」

ルキアの何度目かの呼びかけにギンは僅かに顔をルキアの方へ巡らせ、力なく薄く笑った。

「なにを・・・!貴様はいつからここに!一体なにをしている?!」

「・・・会いたかってん。」

ひどく小さな声で、心細げなギンの声がルキアの胸に響く。

「・・・今日は、ほんま・・・もう、絶対、会えへんようになってまうと思うたら・・・
なんや、身体が、よう動かんようになってしもうた。
・・・ここ離れたら、もう、ルキアちゃんに・・・会えんようになるなら・・・」

「・・・なぜだ!市丸!なぜ、貴様は、そこまで・・・!」

「なんでって・・・なんで?・・・僕、ずっと言うとったんやん・・・」
必死なルキアの呼びかけに、ギンは弱く笑っていた。
そして水銀灯に照らされた光ごしに目が合う。
その一瞬だけ、ギンの瞳に強い光が煌めいた。

「好きなんよ。」

「・・・!」

「僕は、ルキアちゃんが、好きなんよ。」

ギンの真っ直ぐで真摯な言葉に、ルキアの中で言葉にならぬ想いが溢れ、涙で視界が滲んでしまう。
しかしそこをグッとこらえ、ルキアはずっと疑問に思っていた事を、ギンに向かって思い切ってぶつけてみた。

「だ、だからなぜだ?!なぜそこまで私を想うことができるのだ?
私達は知り合って間もなく、お互いのこともそれ程知りはしないではないか?!」

ルキアに支えられる程弱っているギンは緩慢に、それでもひどく可笑しげに笑ってみせた。

「・・・時間なんて、関係ないやん?・・・好きになるんに理由が・・・必要なん?
・・・僕はルキアちゃんを好きになった。・・・それだけで、十分なんやない?」

京楽と同じことを言われ、ルキアは愕然とギンを見下ろした。
しかしそれはほんの一瞬で、すぐさま我に返ると、慌ててギンから視線を外す。

「!!・・も、もう良い!話は後だ!とにかく傘を・・・いや!病院に・・・!」
ルキアは鞄にいれてある携帯電話を取りだそうとすると、その手を冷たいギンの手に掴まれた。

「一緒にいてや。」

「!・・・市丸。」

「病院なんぞ、いかんでええ。大丈夫やから・・・一緒にいてやぁ。」

初めてみるギンの痛々しい姿に、ルキアは胸が引き裂かれるような痛みがはしる。
なにをするにも飄々とソツがなく自信満々な男が、今は雨に濡れ、寒さに身を震わせている。

ルキアは知っている。冷たい雨に濡れ、心まで冷え切った凍える想いを。


ルキアは自然とギンの頭をかき抱いた。


ギンの髪は冷え切り、そこからルキアの身体を冷たく濡らすが構わず、安心させるように強く強く抱く。

「・・・一緒にいる。側にいる。大丈夫だ。・・だから、市丸。頼むから病院に行こう。」

「・・・マンション。」

「え?」

「・・・僕のマンション。連れていってな・・・」

「わ、わかった!とにかく、タクシーを呼ぶ!もう少し待て!!」

ルキアは改めて携帯電話を握り締め、ギンの頭を抱いたままタクシー会社に電話をかけた。
それからタクシーが到着するまで十分間。ルキアは傘を差し、ずっとギンを抱き締めていた。






少しでも、冷たい雨からギンを守る様に。

 

 

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gin top

※新年明けましておめでとうございます☆
平成21年の幕開けに、記念すべき第20回!お年玉サイズの普段の二倍量!
年末年始のなんだか慌しい時間の中でも、ちまちま書き溜めておりました☆
本当でしたら、京楽さんのシーンで一度区切ろうかとも思ったんですが、
新年いっぱつめにギンとルキアの絡みがないのはどうよ?!で、大盛りサイズに盛りなおし〜♪
ギンルキ現代パロ、楽しみにしていて下さった方は、たっぷり楽しんで頂けたでしょうか?
次回の更新は二週間後にできたら良いと思っております。(リクエスト企画優先の為)
今年もこのギンとルキアにワクワクドキドキしながら、お待ち頂けると嬉しいです☆
しかしこのご時勢、現実世界であれば都会の公園に、こんな人がいたらすぐ通報されるでしょうね・・・きっと。
2009.1.1

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