『 依 存 症 』 (現代パラレル 過去編8)


呪縛の花園へ、ひとりの男がやってきた。

その者は唸り吠える番犬を眠らせ、固く閉ざされた花園の入口の前に立ち娘へと話しかけた。

「そこで、なにしとるん?」

娘は初めての訪問者に訝しく思いながら、小さな声で返す。

「ここは私とあの人の為だけの花園。来訪者は望みません。早々に立ち去ってください。」

この娘の言葉に、招かれざる客はせせら笑った。

「へぇ?こないなにも無い所が花園やって?そらおもろいこといわはるなぁ?」

男の言葉に娘は、更に眉ねを寄せ呟いた。

「・・・なにも、無い?」

娘の周りは決して枯れないたくさんの花々が咲き乱れ、空からは雨が降り注ぐ。

「何を言う?ここには雨が降り、こんなにも花が咲き乱れているではないか?そなたには見えぬのか?」

男は黙って娘の周りを見渡した。

娘は強固な柵に囲まれた、暗い闇の中に一人佇んでいるだけ。

一輪の花も、そこにはなかった。

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

ギンの住むマンションは、駅から歩いて五分以内の場所にあった。
ギンはそこを、値段の高さよりも立地条件を重視して決めたものだ。

ちなみに過去の女達を、ここへ招いたことはない。
どうせ短い付き合いでしかないし、面倒な女に自分だけの空間を汚されるのも嫌だったからだ。

だからルキアは、初めてギンが招いた女の客になった。


ルキアが来る時間付近に最寄の駅までギンはわざわざ迎えに出ており、電車から排出された多くの人波の中、
ルキアは小さな身体を埋もれるようにさせながらも、ひどく険しい表情で全身に緊張を漲らせしっかりと歩いてきた。



改札口付近で待ち構えているギンの姿を見咎めると、ルキアは端整な顔を更に厳しく歪めた。

「―――迎えに来たのか。場所はわかっているのに。」
「大事なルキアちゃんが、迷って泣いてたらかなわんしな。」

ルキアは迷惑そうに顔をしかめるだけで、すぐにギンから視線を外す。


ギンの言い分は、もちろん嘘だ。
よほどの方向音痴でない限り、逆にどうすれば迷うかわからないほどわかりやすい場所にあるのだから。



ギンはいつも通りにこにこと微笑み、ルキアに向かって手を差し出す。

「そしたら行こか?ここからすぐやし。」
「こちら側のはずだな。行くぞ。」

ルキアはその横をすげなくすり抜け、一人で勝手に歩き出した。
その態度にギンは当然文句をもらす。

「いけずやなぁ。ルキアちゃん。
これが最初で最後のお家デートなんやし、僕にもうちょっと優しくしてくれてもええんとちゃう?」

「・・・私は早くこの件とお前から解放されたい。それだけだ。」

そう言い遠ざかる小さな背中を見て、ギンは小さく溜息をついた。
「・・・ほんまに、いけずや。」

この小さな身体にどれだけの意志を潜ませているのだろうか。

ルキアは罪も傷もなにもかも自分だけで抱え込み、それでも一人で歩き出す。


なんという強さ。


脆く崩れる儚さなのか。


そしてそこがまた、魅力でもある。



そう思い、遠ざかる小さな背中を見て、ギンはひっそりと笑った。

 

 

部屋に着くとまずギンは、リビングのグレーのソファへルキアを導き、それから台所へ行きマグカップを手に持ってきた。

「・・・貴様が紅茶とは、意外だな。」

「僕は普段飲まへんよ。ルキアちゃんが好きや思うたから準備したんやもん。
カップがこんなんですまんなぁ。ティーカップなんぞ持っとらんしな。」

そういえば今朝から何も口にしていなかったことを思い出し、
ルキアはたちのぼるその優しい香りにつられて、ついカップを手に取った。
ダージリンの香りに少しだけ緊張が解け、ルキアはお茶を口にした。

「・・・うまい。」
「そうか?そら良かったなぁ。」

ギンは自分のカップには手をつけず、テーブルを挟んだ真向かいに腰を下ろしてその様をにこにこと眺めている。


ルキアはなんとなく、この室内を見渡した。

ギンの部屋はとても簡素で、余計なものが一切ない。
テレビとソファとテーブルが置かれただけのリビング。
他には小さな棚がひとつあるだけ。

よく言えばシンプル。悪く言えば面白みがなにもない。

それはギンが物にすら執着しない性質を表しているようでもあった。



部屋は物がないせいか綺麗に片されており、男の一人暮らしであるのにそれは意外に思えた。

兄様の部屋は広く整然としており、恋次の部屋は物に溢れ、足の踏み場にすら困るかほどだ。

二人の男の部屋しか知らぬルキアは、やや物珍しく眺めてみる。


そして思った。


海燕と都の部屋はどのようなものだったのだろうか?


ルキアの瞳が、一瞬で悲しみに曇る。



その瞬間を、ギンは見逃さなかった。




「そうやって、いつまで過去にしがみついてるん?」



「―――なんだと?」



その挑発にルキアは即座に反応し、またしても一瞬で瞳には怒りが満ちる。



しかしギンは、何一つ気になどしていないかのように、淡々と言葉を紡ぐ。

「新しい事するたび、過去の事思い出して悲しがってみせてんの?
ルキアちゃん縛りつけてるんわ、大好きだった先生で『志波海燕』やろ?」



やはりこの男は嗅ぎつけた。


ずっと触れずにしておいて欲しかったあの人の事に。



ルキアは怒りと苦しさに喉をつまらせながら、それでもなんとか言葉を吐き出す。


「・・・なんの、ことだ。」



ルキアの大きな瞳は怒りを飛び越え、殺気すら放ち、ギンを射殺す勢いで睨みつけてくる。



ギンは笑う。

可笑しいからではない。


愛しいからだ。


こんな折れそうに細い小さな身体に溢れんばかりの想いを抱え、
自分一人傷つき、
救いのない罪の意識に捕らわれながら、
それでも愛しい男の事を忘れられずにいる。


ギンは愚かだと思いながらも、そこまでルキアに想われる男に対し一抹の羨望と膨大な嫉妬を感じた。


この娘の心をこれ程までに捕らえるならば、その代償が死であっても構わない。
だがそれによりルキアの心が死ぬのであれば、話は別だ。

ルキアは既にいつ破裂してもおかしくないまでに、男への罪と思慕で限界まで膨れ上がっている。

なんとしても、その男からルキアを奪い返さなくてはいけない。



それ程の覚悟を、ギンはしていた。




だから揺らす。

ルキアが立ち上がれないまでに、徹底的に揺らし壊すまでに。



「ルキアちゃんは僕と違うて嘘つくの下手やね。
僕知っとるゆうたやん。ルキアちゃんの秘密。
そのお話、してくれるためにここまで来てもらったんやもん。観念して、色々教えてや〜。」


あくまでも面白がった様な口ぶりに、ルキアは苛立ち、それをそのまま叫び出す。

「・・・貴様には、何も関係のない話であろう!」



するとギンはニッコリと微笑み、その苛立ちを煽るように茶化すような口調で畳み掛けていく。

「関係ない訳あらへんよ?
僕はルキアちゃんが大好きやし、ルキアちゃんは今でも『志波海燕』が大好きなんやろう?
そしたら、そいつのことなんとかせんと、僕ルキアちゃんと付き合うことできへんしなぁ。」




「・・・貴様が、軽々しくその名を口にするな!!!」

堪らずルキアは叫び、強く強く唇を噛む。


強く噛み締められ、見る間に白くなっていく唇に、ギンは少しだけ悲しそうに微笑んだ。

「・・・わかったわぁ。そない怒らんでもええやん。もう呼ばへんから、少しは力抜いたらどうや?」

一度堰を切ってしまえばルキアの思いは留まることが出来ず、ギンの言葉を無視して叫んだ。

「どっちにしろ、私と貴様が会うことはこれでなくなる。ならば今このような話を貴様とする事自体、無意味ではないのか?」


しかしこの言葉にギンは瞳を薄く見開き、鋭い眼光でルキアを真っ直ぐに射抜いた。

「そんなん言うてまた逃げる気なんやろ?
僕はルキアちゃんと会えなくなる条件のんでまで、ここに来てもろうたんやし、絶対に逃がさんよ。
・・・もういい加減、覚悟したらどうや?」


低い声音でしっかりと釘を刺され、ルキアは思わぬギンの圧力にやや怯み、それから決まり悪げにギンから目を逸らした。

「・・・貴様は一体何が聞きたい?私に何を話させるつもりなのだ?・・・大体、どこでこの話を嗅ぎ付けてきた!」


この問いにギンはまたガラリと雰囲気を変え、それはなぁと嬉しげに話し出す。

「ルキアちゃんの中学時代の年代で、中学校でなんや事件がなかったかとりあえずネットで検索してみたんよ。
そしたら丁度『28歳』の中学教師が事故で亡くなってたみたいやし、割りと簡単に見つけ出せて拍子抜けしたくらいやね。
そしたら、まずその先生の事調べてみよう思うてな。
あとは現場ひゃっぺん。は、嘘。ほんまは一回だけその現場に行って事故付近の店の人に話し聞かせてもろうてたら、
偶然ルキアちゃんと同級生の子が命日には海外行っていないゆうことで、早めのお参りに来とってな。
その子に先生と当時のルキアちゃんの様子も聞かせてもらえたゆう訳ですわ。
ここまで探れれば上出来やろ?僕、探偵にもなれるかもしれへんなぁ。」


くすくすと自慢げに話すギンを、ルキアは無表情に暗い瞳で見上げ呟く。

「・・・簡単に探り出せたのか。・・・そんな偶然があったとは・・・私には、運がなかったようだな。」


ギンはささやかな笑いと止めると、虚ろな瞳を漂わすルキアを見つめ決然とした言葉を発した。


「過去にこだわるんは、もうやめとき。」


「・・・なんだと?」
ルキアの暗い瞳の奥に、小さな怒りの炎が灯る。


「28歳まで恋愛しない。それは先生が28で死んでしもうたから。
やっぱりルキアちゃんも女の子やね。ずいぶんロマンチックな事、考えなはるわ。」


「・・・私だけの問題だ。貴様には関係ない。・・・貴様は、私を莫迦にしているのか?」

「全然莫迦になんかせーへんよ。ただ、今だにそこまで想われてるその先生が羨ましゅーて、そして邪魔なだけやし。」


ルキアは無言で紅茶の入ったカップを睨む。
もうすっかり冷め切ってしまった。
なんの香りもしない琥珀色の液体を。



自分の言葉に反応を示さぬルキアに構わず、ギンは休む間もなく言葉を打ち込む。

「ほんまに出来ると、思うてんの?」



「・・・なに?」
ルキアは鋭い視線を、そのままギンへと移した。


「可哀想な女の子がそのままの気持ちで28歳になって、先生と同じ歳になって、
そしたら、はいじゃあ恋愛します。って出来ると思うてんの?」



「貴様・・・!一体何が言いたい?!そんなこと、その時になってみなければわからん!!」


苛立ち声を荒げるルキアとは対照的に、ギンはルキアを見つめたまま、静かに一言呟いた。




「出来るわけ、ないやん。」



「・・・!」


あまりにも揺ぎ無くきっぱりと言い切られ、ルキアはどう反論するかも浮かばず、呆然とギンを見つめた。

ギンの声は、まだ続いている。




「そんなん無理やって。

どうせ28歳になったらなったで、『先生はあと一日で29歳になるとことやった』とか、

『先生の歳追い越してしもうた〜』とか新しい言い訳探して、またそれに捕らわれる。

いつまでたっても何も変わらん。

ルキアちゃんは永遠に変らんし、変わることを望んでおらん。」




「・・・そ、そんな・・・ことは・・・!!」


『変わることを望んでいない』


ルキアの胸の中心を蝕んだ思いそのものをズバリ言い当てられ、ルキアは明らかに動揺した。

その様子にギンは薄く笑い、間をとるように一口だけ冷めた紅茶を飲んだ。

それからまたルキアを見つめ、薄ら笑いを湛えたまま、ルキアを揶揄するように揺さぶり続ける。



「自信ないんやろ?
僕にこないな事言われて、いつものルキアちゃんなら絶対に違うって、堂々と宣言するんに、今出来へんのやろ?
自分でも気付いてるんや。きっとそんな風になってまうんやってなぁ。」



「・・・っ!」
ルキアは言葉もなく、苦しげに唇を噛む。



もう少しだ。


その様子にルキアの心が折れかけている事を確証したギンは、とどめとばかりに攻撃を続けた。


「それにルキアちゃんは、誰にでもずぅっと壁作ってるやん。
ルキアちゃんは誰にも心なんか許しておらん。
まぁその点は僕も似たようなもんやし、偉そうな事は言えんけどな。
それでもルキアちゃんよりはマシやと思うよ。
僕はイヅルからかってる時、腹から笑えるしな。」


「・・・・・」

ルキアの瞳が泣きそうに揺らぎだし、ギンは小さな溜息を吐くと、少しだけ優しく声を和らげる。

「そない自分苛めんといてや。ルキアちゃんの大好きな先生が、ルキアちゃんにそない重荷になって喜んでる思うの?」


「・・・なぜ、わかる?貴様に、なぜ先生が望んでいないと、言い切れるのだ?」

ルキアの声は微かに震えている。
もう、泣いているのかもしれない。

でもギンは、それには気がつかないフリをした。



「そら知らんよ。そんな会うた事もない人がなに考えてるかなんて、わかるわけない。
そいでもなぁ。例えば僕が死んでイヅルがルキアちゃんみたいになっとったら、そんなん全然嬉しゅうないし、
逆に何気にしてんねん!言うて怒ると思うけどな。
ルキアちゃんはちゃうの?いつまでも、自分の為に罪の意識抱えてて欲しいと思うん?」




ルキアの身体から、ふっと力が抜けたのが・・・見えた気がした。


長い時間。


そう十年間。


誰にも話さず、自分一人で抱え込んだ想いがこぼれ落ちていく。


深い罪の意識にルキアは心を砕けさせ、海燕を想う以外全てを捨ててきたものだ。


この辺で少しだけ息をつこう。


そんな風に、ルキアのぼろぼろになった心が、力を抜いた。



「・・・寂しそうな、顔をするのだ。」



ルキアは視線を彷徨わせたまま、呆然と呟いた。



「・・・誰が?」
ギンは待ちわびたルキアの告白に、後押しするように、話の先を促がす為にそっと相槌を打つ。


「・・・先生を・・たまに夢で見ると・・・寂しそうな顔をして・・私を見ている。

そして・・・背を向けて、去ってしまうんだ。

・・・生きてる時に、先生の寂しそうな顔など、

一度も、見たことがないのに。」



ルキアは一度言葉を切り、悲しげに微笑んだ。


今まで誰にも話したことのない、海燕の夢の話。


一度話してしまえば、もう言葉を止めることは出来ない。



「・・・私は、追いかける。

先生に謝りたくて、必死になって追いかけるが絶対に追いつけない。

先生は背を向けたまま、振り向きもせず、私の側から・・・いなくなってしまうんだ。」



声が震え、堪え切れずルキアの頬は涙に濡れていた。




ギンは無言でルキアを見つめた。


罪の意識に蝕まれた、憐れな娘の真の姿を瞬きもせず見つめているだけだった。

 

 

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gin top

※2008.10.24

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