二人の結婚は周囲には秘密であり、学校側もそれは了承済みであった。

それゆえ、ルキアは学校で必要以上にギンに関わることを極力避けるのは当然なのだが、
ギンはその事を良しとはしておらず、時々こうして小さな喧嘩に発展してしまう事も少なくはない。


しかし今日の告白の事を、ギンが知っていたのはまずかった。
ただでさえなんでも過剰にとらえるギンのこと、当然ルキアは断るが、
事を荒立てたくなくて黙っていたのがかえって裏目に出てしまった。



二人は先月籍を入れたばかりの新婚さんだったが付き合いは長く、
それは、ルキアが小学生でギンが幼稚園児であった時代まで遡る。






『 学園天国 』 後編





「ルキアちゃん!大きゅうなったら、絶対僕のお嫁さんになってな!」


その頃からギンの口癖は『ルキアと結婚』であった。
ギンより3つ上にルキアは、弟のような存在のギンの戯言にいつも笑顔でこう返す。


「よいぞ。ギンが大きくなったら、私はギンの嫁になろう。」


ギンはいつでも大はしゃぎに喜び、その無邪気さにルキアはいつも和んでいた。

子供同士の、たわいもない可愛い約束。
まさかその頃からギンが本気であるなど、ルキアは思いもしなかった。


朽木家の令嬢として育ったルキアに、普通に接してくれる友人がおらず、
幼い頃から遊び相手は近所に住んでいた小さなギンであった。


ギンはいつでもルキアの後を追いかけ、ルキアはいつも立ち止まり幼いギンを待っていた。
二人はどこに行くにも手を繋ぎ、遊びまわった。

今は飄然とした態度のギンであるが、昔はチビですぐ泣く、いわゆるいじめられっこであったのだ。

それが変わったのはある日のこと、ギンが上級生にいじめられていた時だった。
「貴様ら!なにをしている?!!」

いつものように公園にギンを探しに来たルキアは、自分より大きな年上の相手に向かい勇敢に立ち向かった。
幸い大きな喧嘩に発展する前に、相手が興ざめしたように手を引き、公園から引き上げていってくれたのだが、
それでもルキアは無傷という訳でもなく、その真っ白な頬に小さく傷が作られていた。


「痛い?ルキアちゃん?痛い?ごめんなぁ。僕のせいで、ルキアちゃん・・・ごめんなぁ。」

ギンはその傷を撫で、いつまでもいつまでも泣いた。
自分が弱いせいで、ルキアにこんな傷を作ってしまったのが苦しくて悔しくてたまらなかった。

「これくらいなんでもない!男がそんなに泣いてはいかん!・・・頼むから、もう泣かないでくれ。」

ルキアは気丈に振る舞ったが、ギンはなかなか泣き止んでくれず、
最後にはルキアもつられて泣き出し、結局二人仲良く手を繋ぎ泣きながら家へと帰っていった。


そんな事があってからギンは変わった。

ルキアの為に強くなろうと、少々の事ではもう泣かなくなっていた。
そして泣かないようになったばかりか、口先だけで人を翻弄する術を身につけ、
いつの間にか上級生でもギンにちょっかいをかける者はいなくなっていた。

更に時を重ねると今度は、ルキアに近づこうとする者達を蹴散らし遠ざけるようになっていた。

そしてその頃も、ギンはルキアに言っていた。

「ルキアちゃんは、僕と結婚するんやから。」

これに中学生になったルキアは、幼い頃と違う答えを返すようになっていた。

「結婚とは、一番好きになった者同士でするものだ。」
「えぇ〜?せやからルキアちゃんと、するんやないの。」
「・・・もっと大きくなれば、結婚の意味がお前にもわかるであろう。」
この返答にギンは不服げに頬を膨らませる。

ルキアは大切な弟のような存在のギンに、そんな感情は抱かず、その頃のギンの想いは完全な一方通行であった。


そんな二人に転機が訪れたのは、ルキアが大学生になり、ギンが高校に入学した時期。


ルキアは高校入学と同時に高校三年間を家族と海外で過ごし、大学は日本で進学する為一人帰国した。
大学近くの朽木家所有のマンションに一人住み、その時はギンと全く接点がなくなっていた。

再会は、偶然に訪れた。

大学の入学式が済んで間もなくの休日、ルキアが買い物に出かけようと電車に乗っていた時、ルキアの目の前にやたら長身の男が立っていた。

「・・・ルキアちゃん?」

名を呼ばれルキアは驚いて顔をあげたが、声変わりや予想外に大きく成長したギンの姿に見覚えがなく、ルキアは困惑気味にギンを見つめた。
そんなルキアの様子にギンは笑い、ルキアへと顔を寄せた。

「なんやルキアちゃん。僕のことわからんの?僕や!僕!!市丸ギンや!」
「・・・ギン?お前、あのちびのギンなのか?」
「そうや!ルキアちゃん、いつ日本に帰ってたん?僕に連絡くれんなんて、ずいぶん冷たいんやないの?」
「あぁ、すまない。こちらの大学入学の準備などで色々忙しくてな。今日もまだ家のものが揃っていないから、買出しに行くところなのだ。」
「なんやそうなん?!そしたら僕、荷物持ちしたるわ。」
「それはありがたいが、何か用事があるのではないのか?」
「あぁええのええの!ヒマやからちょぉ出てきただけやし、気にせんといて!」

本当はデートであったのに、ギンは無情にもそう言い切った。
出来れば今日で買い物を済ませたかったルキアは、思いがけぬ手助けに心が動く。

「そうなのか?・・・では、言葉に甘えるとしようか?」
「甘えて甘えて!ルキアちゃんなら、どんだけ甘えてもかまへんよ〜♪」

図体だけは大きく成長したが、変わらぬ口ぶりにルキアはクスリと笑った。

「お前は見た目がずいぶん変わったようだが、中身はほとんど変わらないな。」
「そうか?これでも結構成長した思うんやけど。・・・ルキアちゃんは見た目も中身も、全然変わっとらんね。」
「・・・それは、成長していないという意味か?!」
ルキアにじろりと睨まれ、ギンはにやりと笑みを浮かべた。

「そうやね。最後に会うたんが三年前なんて、嘘みたいなくらい変わとらんね〜」
「お前が変わり過ぎたのだ!なんだ!身長ばかりひょろひょろ伸びおって!」

ルキアはむくれてそっぽを向き、ギンは堪らず声をあげて笑い出す。
「そうそうそんなとこやん!ルキアちゃんはなんでもすぐムキになるんやから〜。ほんま、変わっとらんね〜」
そう言いつつも昔と変わらぬ可愛らしいままのルキアに、ギンは溢れる喜びを隠すことが出来ず、にこにことルキアを見つめた。

それからギンは足繁くルキアの所へ出向いて行くようになり、二人は昔のように一緒にいることも多くなった。
再会を果たしてから数ヵ月後の夏、ギンは言った。

「ルキアちゃん。僕と付き合うてくれへん?」

この告白に、ルキアは大いに驚いた。

昔から自分と結婚しようと、口癖のように言っていたギンではあったが、それも幼少期の意味もない約束。
まさかギンが本当に自分をそんな対象にみているなど夢にも思わなかったルキアは、困ったようにギンを見た。

「・・・私は、お前を弟のように大切に思っている。それ以上の感情を持ったことはないのだ。
・・・だから、付き合うことは出来ない。」


ギンは一瞬呆然とし、それから淋しげに微笑んだ。
「やっぱり“弟”なんやね。そう言われんやないんかなーとは思うとったから、しようがないわ。
・・・そしたらええよ。これまで通り弟として遊んでくれる?」

「も、もちろんだ!私達の関係は決して変わりはしない!!」

決して変わらない。

その言葉の意味を思い、ギンはもう一度淋しげに微笑んだ。

しかし、だからといってギンはあきらめた訳ではない。
今はまだ時期が早い。それだけのことだ。
ギンは次の好機を目指し、ここは大人しく引き下がる。

それでもルキアとの繋がりは決して切らず、定期的に連絡をとり、
完全に弟のように振舞いながらも、昔と変わらずルキアを狙い近づこうとする男共を探り出し、追い払うことも怠らない。



そんな風に一年以上の月日を過ごし、ある初夏の日のこと、次の転機が訪れた。


休日ルキアは一人図書館への調べものに出かけた帰り道、女の子と一緒にいるギンに遭遇した。

ドクッ

最初に気付いたルキアは不穏に胸が鳴り、反射的に二人に気がつかれぬよう慌てて物陰に隠れてしまう。
なぜ私が隠れなければならんだ?!
自分でもよくわからない行動に、ルキアは動揺しつつ、それでも近づいてくる二人に目が離せない。

そろそろ夏を思わせる暑い日差しに二人は軽装で、ギンはあまり気乗りしていないような顔をしていたが、
女の子の方はやけに嬉しげにベタベタと甘えギンの腰に抱きつきながら歩いていた。


「・・・歩きにくいやん。ちょぉ離れーや。」
「い〜や〜♪」

ギンは心からうんざりしたような声で言ったが、女の方は楽しそうに声を弾ませ、尚一層強くギンに抱きついた。
それ以上抵抗する気もないギンは、迷惑そうに溜息をつき、黙ってそのまま歩み続ける。

その様子を見送ったルキアは、ドクドクと鳴り痛む胸を抱え困惑した。

なぜだ?どうしてこんなにも、私はショックを受けている?!

自分の隠れた想いに気付かなかったルキアが、初めて知ったギンへの恋心の片鱗。
しかしそれだけではとても素直になれないルキアは、ギンとの今の関係に距離を置くことを決心するのだった。


「・・・もう、ここへは来ないでくれ。」

あの日ギン達を見かけてすぐ、部屋へ遊びに来ていたギンへルキアは背を向けたまま苦しげにそう告げた。
ギンは一瞬、ルキアが何を言っているのか理解出来ず、薄い目を見開き、ルキアの小さな背中を凝視した。


「なんで?ルキアちゃん。なんで急に、そんなん言いだすん?」
「・・・急ではない。私はずっと考えていた。
考えてみれば、幼馴染とはいえ、お前も年頃の男であった。
兄様に固く、決して異性を部屋へと招いてはいけないと言い渡されていたのだ。・・・だから、お前も、もう・・・」


ルキアはふいに背中に気配を感じたと思うと、長い腕に抱かれた。
それがギンに抱きつかれていたと理解するまで数秒かかり、理解した途端、ルキアは真っ赤な顔で狼狽した。

「ギ、ギン!なにをしている!離せ!離してくれ!!」
「いやや。」

ギンは腕の中にすっぽり包める小さなルキアが痛がらない程度に力をこめて拘束し、目の前の黒髪に口付けて頬ずりをした。
「部屋に来るな言われんは淋しいけど、でもそれ、僕のこと意識してるからやろ?
そしたら弟よりは昇格したゆうことやもんね?そう思うと嬉しいわ。やっとルキアちゃんに男として見てもらえるんやから。」

「ギン!や、やめろ!!離せ!わ、私をからかっているのか?!!」

このギンの行動にルキアはますます混乱し、泣きそうになりながら、なんとか腕の中から逃げ出そうと必死でもがいた。
ギンは薄っすらと笑みを浮かべ、髪から細い首筋に唇を滑らす。
「やっ・・・!!」
ルキアの首にギンの唇が触れた途端、ルキアはビクリと身体を震わせた。

「からかってる?からかってるだけやったら、僕はこない長い間、苦しい気持ちになったりせえへんよ?
ほんまにルキアちゃんが好きで、心から欲しゅうてたまらんのやから・・・」

「ば・・・莫迦を言うな!お前には・・・お前には彼女がいるであろう?!!」


「彼女?そんなもんはおらんよ。あの子達はみーんな、ルキアちゃんの代わりやもん。」
「・・・な?!」
ギンの信じられない言葉に、ルキアはもがくのをやめ、驚愕で瞳を見開き、首を捻ってギンを見上げた。


ギンは笑っていた。


しかしそれは今まで見た事がない程、淋しい笑いであった。
ルキアはなにかしら怒鳴ろうとしていた口を閉じ、息をのんでギンと見合った。


数秒の沈黙後、ギンは静かに口を開く。

「覚えてる?ルキアちゃん。僕、小さい頃から言うてたやろ?『僕のお嫁さんになって』ってなぁ?」
「・・・ギン。」
「僕、本気やったんよ?あの頃から、今でも、そしてこれからも。僕のお嫁さんは、ルキアちゃん以外考えられん。」
「・・・・!」


「ルキアちゃんが海外行ってしもうて、僕、結構荒れたんよ。
ルキアちゃんが側におらんようになって、何してもつまらんし、何もする気が起きんようになってしもうてた。
それで、ルキアちゃんの代わりに女の子と遊ぶようになったんよ。
どんなに代えても代えても代わりになんぞ決してならんと知っといて、それでもルキアちゃんが恋しゅうて、
あの子らにルキアちゃんの影無理矢理重ねて、束の間のお遊戯に身ぃ委ねて、胸ん中に空いた穴埋めようと僕なりに必死やったんよ・・・」

「・・・ギン。」
「でも千人偽者がいても埋まる訳ない。ルキアちゃんの代わりに誰もなれん。僕が本当に欲しいんは、ルキアちゃん本人だけなんやから。」
「・・・・」

ギンの真摯な視線に射抜かれ、ルキアは息をするのも忘れてしまう。



知っていた。この視線。この想い。

ギンの言葉に嘘はない。

昔から真っ直ぐに自分だけを愛し、求めていてくれた、ギンの深い深い愛。
知っていて知らないふりをしていたのだと、ルキアは初めて気がついた。

恐かったのかもしれない。

ギンの迷いのない愛情に立ち向かう、勇気が自分には足りなかったのだ。
可愛い弟として接していれば、これ以上もこれ以下の関係になることもない。
愛情に応えてしまえば、いつかその愛が終わる日が来るかもしれない。
それはつまり、ルキアはギンの存在を失うことを何よりも恐れていた証拠になる。
大学を家族と離れてまで日本にしたのも、心の奥底ではギンに会いたいが為だったのかもしれない。


ルキアは、ここでやっと自分の想いに気がついた。

私は、ギンを愛していた。

それも、ずっと昔から。ギンと同じ時間、昔からギンを愛していた。


「ルキアちゃん。」


自分の思考に一瞬深く入り込んでいたルキアは、いつの間にか腕から解放され、しっかりギンと向き合っていた。
ギンは今までにない真剣さでルキアを見つめ、ルキアは不安げにギンの様子を見守った。


「結婚しよ?」


「・・・・」


ルキアはあまりの事に呆然と言葉を失い黙ってギンを見つめたが、ギンは同じ言葉を繰り返す。


「ルキアちゃん。僕と、結婚しよう。」
「・・・なに?」
「僕と、結婚してください。」
「・・・なにを、言っている?」
「なにってあれやん。プロポーズ。やろ?」
「そういうことではない!!な・・・なにをいきなり!なぜ、プロポーズをしている?!!」


「せやかて、僕はルキアちゃんが好きで、ルキアちゃんも僕こと好きなんやろ?そしたら結婚するんは、普通やと思うけど。」
「!!・・・い、いつ私がお前を好きだと言った!」


ルキアは顔を真っ赤にして無駄な抵抗とばかりに声をあげ、ギンは既にいつも通りのにやにやと余裕の笑みを浮かべている。


「そしたら嫌い?僕の事。ルキアちゃんは、嫌いなん?」

「・・・・!き、嫌い・・・では、ないが。・・・・だからといって、好きになるのか?!」

「ならんの?ルキアちゃん。気付いたんやろ?僕のこと好きなんやって、今、気ぃついてしもうてたやん?」

「・・・・!」


図星をさされ、ルキアは今度こそ何も言えずに俯いた。
その様子に、ギンはますます上機嫌にルキアへと近づき、耳元に口を寄せて囁いた。



「・・・ルキアちゃん。大きゅうなったら、絶対僕のお嫁さんになってな。」



聞き慣れたその科白に、俯いていたルキアは驚き思わず顔を上げ、間近にあるギンと見詰め合う。



「覚えてる?僕、昔からずーっと言うてたやん。
ルキアちゃんに、ずーっとプロポーズし続けてたんよ?
・・・なぁルキアちゃん。僕、ずいぶん大きゅうなったんよ?籍入れるんは、もう少し先にならんと出来んけど、
ルキアちゃんのシスコン兄貴口説く時間も必要やし、今から動いて丁度ええくらいやん。
ガキの戯言でもなんでもない。僕もう、ルキアちゃんを手放したり待ってたりする気ぃないんよ。一刻も早く、僕のお嫁さんになってくれへん?」



「ギン・・・」


ルキアの瞳に、涙が滲む。
ギンの長年のルキアへ対する空よりも広く海よりも深い愛情を感じ、
ルキアはどうしようもない程、目の前の少年が世界で一番愛おしく思え、感動に胸が詰まる。



ギンはルキアをソファへと導き腰を下ろさせると、自分はルキアの目の前で騎士のごとく片膝をつき、ルキアの手をとり微笑んだ。


「僕と、結婚してください。」

「・・・・ギン!!」


ルキアは堪らずギンの首にしがみ付くと必死になって首を縦に振り、そのまま声をあげて泣き出した。
ギンは長年求め続け、やっとこの腕の中に飛び込んできてくれた心から欲したただ一人の愛しき娘の背を擦り髪を撫で、
暖かな幸福感を空虚だった胸の穴を一杯に満たしながら、そのままルキアが泣き止むまでいつまでもじっとしていた。

 

 

 

ギンの両親は、昔馴染みの朽木家令嬢との婚姻に反対する理由もなく、逆に二人が住まう家の提供など具体的な話をいち早く進めていた。

しかし問題なのは当然ながらルキアの兄、朽木白哉であり、妹を溺愛している彼は話を聞くなり大激怒し、海外へ連れ戻そうとすぐに日本へやってきた。
ルキアからの電話を受け、即日本へやってきた白哉は、ルキアのマンションのドアが開くなり、開口一番言い放つ。

「荷物をまとめよ。向こうに戻る。」
「え?に、兄様?!」

白哉すぐに部屋へと入り込み、白哉の来訪を戦々恐々とした思いで待っていたルキアは、
兄が静かに怒りに満ちているのを感じ、怯えながらもその後についていく。


「家の片付けは後日、人を寄こす。だからお前は身の回りの、必要なものだけ持てば良い。」
「あ、あの!兄様・・・!」
「大学へはこれから一緒に出向く。転入届けを出したらすぐに向こうへ戻るぞ。」
「兄様!わたしは・・・戻れません!」

淡々とした口調で今後のことを話す白哉は、部屋の中央で立ち止まり、今背中で受けたルキアの言葉にゆっくりと振り返る。
ルキアを見つめる鋭い眼差しは青い炎が揺らめいて、白哉の内に秘めた激しい怒りを表していた。
その炎の冷たい熱さを感じ取り、ルキアは喉が詰まり、息することすら困難になる。

「なぜだ?ルキア。なぜ、私と一緒に戻らない。」
「・・・・!で、電話でも申し上げました!わたしは・・・!」

ルキアは白哉から発せられる圧力に押され涙目になりながら、それでもなんとか声を絞り出すが、白哉は厳しくその声を遮った。


「戯言は、もう聞かん。」

「・・・・!」


決して大声ではないのに、その有無を言わせぬ声の鋭さにルキアの心は貫かれ、
後はただ呆然と恐れに瞳を濡らし、畏怖の念を抱いてこの崇高な兄を見つめた。



「ルキア。帰るぞ。」


白哉はそう言い、ルキアへと近づいていく。ルキアは動くことが出来ず、ただ黙って迫りくる兄の瞳に魅入られていた。


その時。


「そんなん返すわけ、ないやん。ルキアちゃんは、もう僕のもんやし。」


氷が張ったように冷たく凍り緊張した場の空気が、なんとも呑気な声に破られ、白哉は素早く声のした方を睨みつける。
ギンはリビングドア付近に立っており、いつもの薄っぺらな笑いを浮かべ、白哉達を眺めていた。

「・・・兄か。ルキアをたぶらかし、そそのかした元凶は。」
「たぶらかしもそそのかしもしておらんけど、あんたにとっては、可愛い妹を取り上げた元凶やろうね?」
「・・・ギン!」
「・・・」

白哉の無言の圧力にも屈指ずに、ギンはヘラヘラと笑っている。
ギンの出現でやっと動きを取り戻したルキアは、振り返ると思わず安堵にギンへと走りより、
その姿に尚一層の怒りが白哉に注がれた。


「ギン!お前、どうして・・・!」
「ごめんなぁルキアちゃん。ルキアちゃんは自分で話しつけるから帰れ言うたけど、
あのお兄様相手は、ルキアちゃんじゃ無理や思うて、そこで張ってたんや。」

ギンはルキアの頭を撫で、それから無言で怒り狂う白哉の方へと視線を向けた。


「そしたらお久しゅう。お兄様。
昔からルキアちゃんにはお世話になっとりました、市丸ギンですぅ。
この度、ルキアちゃんをお嫁に貰うことになりましたんで、連絡させてもらいましたんよ。」


「ルキアは、やらん。」

白哉は無表情に、そして簡潔に拒絶の意を示し、ギンは大袈裟に肩をすくめる。


「犬猫やあるまいし、本人の意思を無視してそないな事言うんは、あんまり感心できませんな?
僕ら本気です。餓鬼の戯言言うて莫迦にせんで、真剣に話しくらい聞いて欲しいんやけど。」


ギンは挑発するように笑いを湛えながらも、決して白哉から視線を逸らさずに、その殺気すらまとう視線を堂々と受け止めた。

「たとえ十年たっても、貴様のような輩に、ルキアはやれん。諦めて、ここから出ていけ。二度とルキアに近づくな。」

「なんや。十年待ってもダメやったら、やっぱり待たんで、すぐにも結婚する方がええみたいやね。
諦める?そんなん出来るんやったら、最初からこないな事言うたりせんよ。
昔からルキアちゃんは、僕だけのお嫁さんやもの。」



白哉は睨み、ギンは笑い、ルキアはオロオロと両者を交互に見比べていた。



「・・・ルキア。私はこ奴と二人で話しがしたい。お前は部屋に行っていなさい。」

「え・・・・?に、兄様・・・。」

「あー。そーやねー。男同士の方が色々話せてええもんや。大丈夫。心配せんと、向こうで待っといて?」

不安げに白哉を見つめるルキアに、ギンは安心させるように微笑んで、それから別室へと導いた。


ルキアがおらず二人きりになると、場の空気はますます重く張り詰め、
白哉の怒りが具現化し、ギンを切り裂くのではないかと思うまでに殺気に満ち溢れて、最初に口を開いたのは白哉の方だった。


「・・兄はまだ学生ではないか。今急ぎルキアと結婚し、どうしてあれを養うつもりだ。」

「確かに僕は学生やけど、少しは家の仕事も手伝うて、そこそこ利益あげたりしとる。
ウチの親はこの結婚に大賛成やし、なんぞあったら僕が学生のうちは貸す形で援助してもらえる。
少なくとも、ルキアちゃんの財産あてに結婚なんぞ言う気はないんよ。」


「そんな身分で、よく結婚するなど言えたものだな。」

「僕は、ルキアちゃんと一緒にいたい。それだけなんよ。」


この言葉に白哉は僅かに眉を吊り上げ、眉間の皺をますます深くする。


「それこそ、分別つかぬ痴れ者の言い分だ。もうよい。無理にでもルキアは連れて行く。」
白哉は話しは終わりとばかりにギンから視線を外し、ルキアのいる部屋へと歩み寄ろうとした。

「まだ、終わっとらんよ?」
しかし、ギンは白哉の前に立ちはばかり、笑い顔を消し白哉へ鋭い視線をなげかける。

「これだから大人はあかん。子供の言うこと、頭から莫迦にしよって相手にせん。
その狭い了見が、見えるもんも見えんようにしとること、わかっとらん。」


「自分を子供と認識しているなら、結婚など言う資格はないであろう。責任の負えぬ身でありながら、莫迦なことを言うものではない。」

「そうやない。頭でっかちな良識に捕らわれとるお兄様が大人なら、
心のままに自由に振舞える僕は子供いうことなんやろうね?
せやけど子供は子供なりに大真剣や。
・・・ほんまやったら、既成事実作って無理にでも結婚したろうとも思ったんやけど、それはルキアちゃんが許してくれんでなぁ。
せやけど僕は、なにがなんでもルキアちゃんと結婚しよる。それだけは絶対や。」




バチッ



二人の視線が火花を散らし、空気はますます険悪になっていく。



「ルキアは、連れ帰る。」


「あかんよ。絶対。どんな手段使こうても、ルキアちゃんは、誰にも絶対に渡さん。」



両者一歩も譲らぬ姿勢に、睨み合い沈黙したまま十分以上の時が流れた。

やがて白哉が視線を外し、ルキアのいる扉に向かって声をかけた。



「・・・ルキア。来なさい。」
「!!・・・は、はい!」


同じく向こうの部屋で息をのみ、こちらの様子を窺っていたルキアはすぐにドアを開けた。

「あ、あの・・・兄様・・・」
どのような状況なのか図りかね、ルキアはやはり不安げに二人を見比べた。

すると白哉はルキアを真っ直ぐに見つめ、静かな声で問うた。
「ルキア。お前も、この男と同じ気持ちなのか。一緒に向こうへ戻る気はないのだな。」

「!!・・・は、はい。兄様。私も、ギンと同じです。このまま向こうへは帰れません!
・・・戯言や、一時の気まぐれなどではありません。・・・ですから!」



真剣な様子で叫ぶルキアから、白哉はふいに顔を背けた。


「そうか。ならばもう良い。」

「・・・・え?」


ルキアは拍子抜けして、思わずギンを見上げた。
ギンも少しだけ驚き、白哉を見つめる。


まさか、こんなにもあっさりと説得がうまくいくとは思っていなかった。


二人は向けられた白哉の背中を見つめ、次の言葉を大人しく待つ。


数秒の沈黙後、振り向きざまに白哉は言った。



「ならば、わたしも、ここに住もう。」



「・・・・・・・・・・・・・・・・え?」



予想もしてない答えに、ルキアも、そしてギンさえも間抜けな顔でしばし固まる。
白哉だけがそんな二人にはお構いなしに話しを進めていく。



「何をそんなに驚くことがある。
このような不埒な輩がいるのに、ルキアが向こうに戻らなければ、私がこちらに住まうしかない。当然ではないか。」

「え?あの・・・兄様?か、会社の方は、どうするのでしょう・・・?」
「人に任せ、私がこちらに戻ればいい。大した問題はない。」
「え?あの、でも・・・」


そこで白哉はギンを睨み、声を落として宣誓する。


「私は絶対に許しはしない。

当然ルキアと会うのも禁止する。

逆境に負け、一時の感情に流されただけなのだと、時間がたてばわかるのだから。

妹が莫迦な輩のせいで傷物になる前に、出来る事はなんでもしよう。」




「に、兄様・・・・!」


「・・・・・さぁすっが真性シスコン。筋金入りや。」



白哉の激しい剣幕に押され、ギンとルキアはしばし唖然と立ち尽くした。

 

 

 

 

 

それからのことは、語れば長き物語。・・・なので簡略。

長い時間の説得、応戦、泣き落としとあらゆる手段を駆使し、二人揃って粘りに粘り、

最終的には妹可愛さに負けた白哉から、一年以上の月日をかけ二人の結婚を認めてもらうことが出来たのだった。

しかし婚姻にあたって提示された条件に、
ギンが成人するまで周囲へ二人の関係を知られてはならないことと、夫婦別姓で過ごすことをあげられた。

他にも事細かな条件をつけられもしたが、ギンはしっかり守るつもりもないので、にこにこ笑って聞き流していた。

籍を入れ、一緒に暮らせばもうこっちのもん。

いかに朽木白哉とはいえ、夫婦の間に入り込める隙など決して与えはしない。

そんな壮絶と言っていい試練を乗り越えた二人の絆は一段と強くなり、

一ヶ月前のギンが18歳になった9月10日に、無事入籍を果たすことが出来たのだ。

 

 

 

 

 

ルキアは一人残された台所で、自分の指にはめられた銀色に輝くプラチナの指輪を指先で撫でていた。

これはギンがバイトをして、ルキアのために用意してくれたものなのだ。
いわゆる結婚指輪に定番の海外ブランドではないが、二人で指輪を見に行った時、ルキアが一目惚れして決めたものだった。

ルキアへ結婚を申し込んですぐ、ギンは指輪を買うために一年間カフェでウェイターとしてバイトを始めた。
すらりとした長身に制服のギャルソン姿が嫌味なく似合い、女の扱いに慣れているギンは話芸もたくみで、
すぐにギン目当てに若い女性が集まるようになり、たちまち大人気の看板ボーイに昇格した。

なにをするにも面倒臭がりのギンには非常に珍しく、一年間一度も遅刻も休みもせずに真面目に通い、
その飲み込みの速さと手際の良い完璧な働きぶりに、バイトを止める時かなり名残惜しく全員から引き止められたくらいだ。


指輪はもちろん学校でつける訳にはいかないので、帰ってきたら真っ先につけることに二人で決めていた。

ルキアはついさっき向けられたギンの淋しげな背中を思い、
大きな瞳を悲しげに曇らせ、それから決然と顔をあげると、ギンを追いリビングへと足を向けた。



リビングは明りも点けられておらず、暗い中ソファに座るギンの後姿にルキアは恐る恐る声をかけた。

「・・・ギン?」
「・・・」

しかしルキアの呼び声にギンは反応を示さず、頭部は微動だにしない。

「・・・ギン。まだ・・・怒っているのか?」
「・・・」

ルキアは少しだけ歩み寄り、そう言ったが、やはりギンは何も言ってくれない。

「ギン。本当に私が悪かった・・・。だから、許してくれ・・・!」


普段、五月蝿いまでにルキアの側にまとわりつき、過保護に何かと世話を焼いてくるので、
そのギンが少し沈黙しただけで、ルキアは不安と寂しさにひどく悲しい気持ちで泣きそうになる。


今もルキアはソファ越しにギンの真後ろに立ち、瞳を潤ませ、泣きたいのを必死で我慢しながらギンへと許しを請うた。

しかし、ギンは動かない。

本当に、嫌われてしまったのだろうか?

そんな些細なことにさえルキアは不安に気持ちが揺れ、とうとう堪え切れず瞳から涙が零れ落ちた。
ルキアは両手で口元を押さえ、小さな声で嗚咽を漏らしながらも、心細さに必死で叫ぶ。

「へ、返事をしてくれ・・・ギン!私が悪かった。謝るから・・・お前の言うことは、何でも聞くから・・・!」


ルキアはそのまま大粒の涙を流す。

するとおもむろにギンがソファから立ち上がり、すぐにルキアを優しく抱き締めた。

ルキアはギンに抱かれる温かさと安堵に、尚一層涙が止まらず、ぐずぐずとギンの制服のシャツを濡らしてしまう。
しばらくギンは黙ってルキアを抱き、小さな頭を何度も撫で、ルキアが落ち着くのを十分に待ってから、静かな声でルキアへ問う。


「なんで、僕に黙ってたん?」
「・・・よ、余計な心配・・・かけたく、なかった・・だけなの・・だ。」
「それでも、僕には言うてくれなあかんやろ?僕が言われたの黙っといたら、逆に心配とちゃうの?」
「・・・私が・・・悪かった。」
「ほんまや。ルキアちゃんが悪いんよ?僕に隠し事なんぞしたりしたから・・・。」

ギンはルキアの顔に手を添え、ゆっくりと上向かせる。
夜目にも涙に濡れたルキアの瞳がキラキラ輝き、どんな宝石よりも美しく見えた。

ギンはもう一度、今度はゆっくりと丁寧に唇を重ねる。

「!んんっ!・・・んふっ・・・・んっ!・・・・ふぁっ・・・!」

ギンの舌の動きにルキアは身を委ね、恥ずかしげに声をもらす。

くちゅくちゅと十分に舌先を擦りあげてからギンは顔をあげ、キスだけで十分蕩けきった表情の愛妻を意地悪く見下ろした。


「そしたら、ルキアちゃんには“お詫び”してもらんとな?」

「・・・・な・・・に・・・?」


ルキアは悲しみに濡れたていた瞳をうっとりと潤ませていたはずなのに、ギンの言葉に今度は怯えに瞳が引きつる。


「さっき言うてたやん?僕の言うこと『何でも聞く』んやろ?」


にやにやと笑うギンの表情に、ルキアは一気に熱と血の気が引くのを感じると、
本能的に危険を察知し、ギンの側から逃げ出そうとしたが、ギンの手はルキアの肩をしっかりと掴んだままだ。



「なに逃げようとしとるん?あかんなぁルキアちゃん。まだまだ反省してないやん。
そない聞き分けの悪い子は、お仕置きせなしゃーないねぇ?」

ギンはすぐにルキアの両膝をすくいあげるとお姫様抱っこに抱え上げ、二人の寝室へと歩き出す。

「ギ、ギン!貴様!計りおったな?!!!」
「なんのこと?僕、わからへーん♪・・・あんまり暴れると、落ちてまうよ?」

ルキアは怒りと狼狽に声を荒げ足をバタつかせて暴れるが、ギンにわざとバランスを崩され慌ててギンの身体にしがみついた。
その様子にギンはひどく可笑しそうに笑う。


ごめんな、ルキアちゃん。

大事で大事で大事すぎて、本当は誰の目にも触れさせたくなくて。

この世界で一番愛しく、何からも護りぬくと思っていても、時々無性に泣かせ僕に縋りつかせてみたくなる。


男心も、なかなかに複雑なんよ。


そんな勝手な言い訳を胸の中だけで呟き、ギンはルキアの抗議を完全に無視して、
楽しい楽しい『お仕置き』をすべく、寝室の扉の向こうへ嬉々として消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

毎日のように続くギンの小言にも耐えた、ルキアの実習生活も今日で終わりを迎える。

その日の昼休み。
今日も屋上にはいつものメンバーが顔を揃えている。

修平はすぐに売り切れる幻の焼きソバパンを手に、ご機嫌で声をあげた。
「やぁ〜〜〜っぱ、たまんねぇなぁ!おい!!」
「・・・そんなに、それが好きなのか?」
少し離れた場所に腰を下ろしていた冬獅郎は、甘納豆がたくさん入ったパンを手にして修平に声をかける。

「ばぁっか!!焼きソバパンはたしかにかなり好きだけどよぉ。今一番俺が好きなのは、あれだよあれ!
あのクールビューティーな実習生ちゃんだって!!」


修平の言葉に、その場にいた多くの者がピクリとある者は肩を、ある者は眉根を震わせ反応を示す。
それを誤魔化すように、冬獅郎はパンに齧り付き、一護はパックジュースを啜った。

「あぁルキア先生・・・。確かにクールビューティって言葉がぴったりっすよねぇ。」
しかし恋次は素直に会話に飛び乗り、修平と無邪気に話し始めた。

「やー!ありゃ反則だって!!あんなにチビちゃんだったから、
一瞬どんなガキかって思ったら実はすっげー美人なんだもんな!もう俺は一目で恋に落ちたね!」

「えぇ〜?!!お、俺もまるっきり同じですよ!まさか二人同時に一目惚れなんて・・・漫画みたいっすね。」
上機嫌で大声を張り上げる修平と恋次を、他の者達は冷ややかに見つめる。

程度は知らずとも、簡単に教室の男共は皆ルキアに夢中になっているのは明白だし、
悪くすると学校中の生徒がルキアに好意を抱いていても少しもおかしくはない。
それだけの不思議な魅力がルキアから溢れんばかりに感じるのだから。


「俺はよう。本来ならもっとこう・・・胸がバーン!みたいな方が好きなんだけど、ルキアちゃんなら話は別!
いや、他の女共に比べて別格だな!なんかこう・・・あの大きな瞳に吸い込まれるっていうかさぁ・・・」

「へぇ?あなたのように低俗な無作法者にも、彼女の美しさだけは理解できるみたいだね?」
「?!てめぇ・・・弓親!本当にてめぇとは白黒はっきりさせてやるからな!」
「檜佐木さん!もう相手にしないって、昨日言ってたじゃないですかぁ。」
「離せって恋次!こいつの口縫い付けてやる・・・!」
「あ〜も〜。毎日同じ事ばっかり言って喧嘩しないでよ〜。それに弓親。
美しいばっかり強調するけど、年上の女の人は、年下には可愛いらしさを求めてるものだよ。」

「水色。それは自分の経験上かい?」
「もっちろん!・・・まぁ、可愛い扱いされるのは、アレの前までだけだけどね〜♪」
「・・・君の周囲にいる、不埒な女性と彼女を同等にしないでくれないか?」
「そうだ弓親!おめぇも少しはまともな事言うじゃねぇか!
水色!お前の周りのスキモノ女とルキアちゃん一緒にするなんて、侮辱もいいとこだぞ!!」

「えぇ〜?なにそれ?!莫迦にして〜。どんな女の人でも本質は、誰も変わらないんだから!!」

「・・・あいつら、毎日同じことで言い争っているが、飽きないのか?」

「もう習慣なんだろ?それより冬獅郎。先生に渡す花の手配、間違いないんだよな?」
「当然だ。俺が采配しているのに、間違いなどあるはずもない。」
ルキアが来てから格段に増えた子供のような口喧嘩に、最早止める気もない冬獅郎や一護は、
騒がしさに顔をしかめ、それを無視してパンを頬張った。



その輪から少し離れた位置にいるギンはいつものように寝転び、イヅルはその傍らに座って彼等の騒動を眺めていた。
「・・・本当に、すごい人気だね。ルキア先生。」
「そーやねー。まぁ美人やし。しゃーない思うけど・・・あんまりぽんぽん名前連呼されると、さすがに腹立つなぁ。」
「え?・・・なに?どーゆー意味なの?」
「んん?なんも意味なんぞあらへんよ〜?・・・そうや。イヅルは?あのせんせぇの事気にならんの?」
「え?ぼ、僕・・・?綺麗だし、すっごく堂々としてて格好いいなぁとは思うけど、皆みたいには・・・」
「そうか。そら良かった。・・・イヅルに嫌がらせは、さすがに可哀想やしな〜。」
「・・・なに?よく聞こえなかったけど、何て言ったの?」
「な〜んも。今日もええ天気やね〜」
「?う、うん。そうだね・・・」

ギンはポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。
今丁度12:30になったばかり。
そろそろいつものようにルキアの様子を見に行こうかと、ギンが身体を起こしかけた時だった。


ガチャリ


「おぉ!ここにはずいぶん人がいるのだな!」

屋上の重い扉が開く音がしたと同時に、凛とした声がして、そこには噂の張本人が立っていた。


「なん・・?!」
ガツッ
「?!い、市丸くん?!へ、平気・・・?」
「〜〜〜〜〜!!!」


口喧嘩真っ最中の者達は一様に口を噤み、ギンは驚きで体勢を崩して思わず頭を打ちつけた。

皆の様子を見渡しルキアは楽しげに声を弾ませ、後ろには花太郎が泣きそうな表情でついてきており、
決死の思いでルキアのボディーガードを買ってでていた。



「・・・先生!!」


ギンが頭を抱え静かに悶絶している内に、ルキアはたちまち皆に取り囲まれ、屋上で一番の特等席へと案内された。
ルキアの両隣を修平と弓親が固め、ルキアの前に恋次と水色が場所を確保した。
遠巻きながら冬獅郎と一護も近くに寄り、また更に離れた場所に疲れた様子の花太郎が控えていた。


ギンは思い切り打った頭を擦りつつ、困惑気味に立ち尽くす花太郎の側へと足早に近づくなり、声を抑えて問いただす。

「なんやの一体?!なんでルキアちゃんが、ここに来てん?!」
「え?あ、あの・・・。今日で実習も最後ですし、行った所のない場所を見ておきたいと・・・」

怒り気味のギンの様子に花太郎はやや逃げ腰になり、それを聞いたギンは苛々とルキアを見た。
よりにもよって、どうして学校の中でも最も面倒な獣の群れの中に無防備に飛び込んで来るものか。
皆に囲まれ、微笑みを振り撒くルキアの様子に、ギンは思わず唇を噛む。
昔からルキアは本当に無自覚、無警戒に最も危険(ルキアへ好意を持っている)な者達の側へと簡単に近づいていく。
それを妨害するのがギンの勤めでもあったのだが、このメンバーは曲者揃いでさすがに分が悪い。


これはまた『お仕置き』せなあかんかも。
ギンが胸中で舌打ち物騒な事を思い描き、とにかく様子をみようとルキア達に視線を送る。


「先生!どうしたんだよ!俺に会いに来たのか?!」
嬉々として修平が叫ぶのを、冷ややかな目で弓親が睨む。

「まさか。どうしてあなたのように美しくないものを、わざわざ見に来ますか?
言うまでもなく、先生は僕の美しさに惹かれていらしたんですよね?」


「だからさ。年下の男に美しさなんか、求めたりしないよ。先生も、年下は可愛いに限るでしょ?」

「いや!やっぱ男は頼りがいでしょ?!俺みたいにドーンとした・・・」
たちまちルキアを囲んだ男達は、喜びと興奮に声を躍らせ楽しげに声をあげる。

ルキアは少しだけ困ったように微笑み、それから小さく小首を傾げた。
「残念だが誰に会いに来た訳ではない。今日で最後だからな。一度、屋上にあがってみたかったのだ。」


『今日で最後』


その言葉に、皆一瞬で指揮が下がる。
来週から学校に来ても、ルキアはいないのだ。

しかしそこで終わらせる気のない修平は、決然と顔をあげた。
「先生!俺と番号交換しよう!!」
「番号交換?それはなぜだ?」
「なぜって、そりゃこれからも先生に会えるようにだよ!!」


必死な様子の修平に押され、ルキアは少し困惑気味になり、それを察した冬獅郎と一護が動いた。
「おい。さすがにそれは図々しいだろう?俺達の立場を、わきまえるべきだ。」
「そうだ!先生、困ってんじゃねーか!」
「・・・そうだな。すまん檜佐木。生徒と個人的な連絡を取り合うことは出来ない。」

二人の助けを借り、ルキアもやんわりと申し出を断るが、すぐには諦めきれない修平は食い下がった。
「だって!実習過ぎたら、もう生徒でも先生でもないだろ?!」

「それはそうかもしれないが。でもダメだ。皆も知っているではないか。
言ったはずだ。私には『特定の相手』がいるのだから。」



その言葉に、更に場の空気が重くなる。


そう、ルキアは初日の自己紹介でお決まりの『先生に彼氏はいるんですか?』(しかも言ったのは修平)に、
『昔からの腐れ縁の奴がいる』と答えていた。


しかしそれくらいで若い心は挫けはせず、逆に奪還に秘かに闘志を燃やすだけ。


「先生の相手って、どんな人なの〜?やっぱり年上?興味あるな〜♪」
水色が無邪気さを装い、問題の核心をつく。


敵の情報は必須事項。どんな奴がルキアのお相手なのか、ルキア自身の言葉で知っておく必要がある。
皆、ナイス水色!と心の中で親指を立て、耳を澄ましてルキアの言葉を待った。

「・・・そうだな。」
ルキアは俯き少しだけ考えこみ、それから視線を空へと向けた。


「精神年齢はかなり低いな!細かい事にこだわって、私は自由に服も選べん!
私がモテるとの思い込みにやたら嫉妬深く、つまらん言いがかりをつけては、私のする事いちいちチェックせねば気が済まない。
そのくせ自分は異性を前にするとへらへらと愛想をふりまくるし、簡単に人の気持ちを玩び翻弄する!
所構わず抱きついてきたり、何を考えているか全く理解できない時も多い。正直ここまで拘束してくるタイプだとは思わなかった!」


ルキアは日頃のうっぷんを晴らすが如くずけずけと辛辣に言い放ち、
誰にも気付かれぬよう一瞬だけギンの方へ視線を走らせ、すぐに逸らす。



それを聞いた皆は唖然とした。
でも一番唖然としたのは当の本人。
そう、本当はルキアのご主人様であるギンであろう。



自分のやり方にルキアが不満を感じているのは知っていたが、
まさかこれだけのライバル候補生に向かって、
悪いところばかり並びたてられるとはさすがに思いもしなかった。


これでは、不満ばかりの相手に自分も頑張ればルキアの彼氏になれるかもしれない。
などの希望をこの場にいる皆に抱かれても仕方がない。



あかんよルキアちゃん。これは、最大のペナルティや。

この状況に内心落ち着かぬギンは、どう言ってこの場からルキアを連れ出そうか頭を巡らす。


そしてこのルキアの言葉に、妙な高揚感を得た修平は、皆の代表で思ったことを口にした。
「なんだよ、そんなヤローなのか?!そんな奴やめちまえって!
細かい事こだわるような器の小さい奴、先生を幸せになんかさせねぇよ!!」


本当はルキアの無自覚、無警戒ぶりに、過剰に心配する彼の気持ちを心底理解しながらも、修平の言葉に皆うんうんと頷き同意する。

「嫉妬深く拘束するなど、その精神がまったく美しくはない。
・・・可哀想に。こんなに美しいのに、つまらぬ男に引っかかり、苦労されているなんて・・・!」

ここで弓親がルキアの手を取ろうとし、修平に払いのけられ、そのまま二人は火花を散らして睨み合う。

「僕だったら、戻ってきてくれるなら浮気も全然OKだよ!今時一人だけなんて、ありえないし〜」
その二人の間をぬい、水色がいつもお姉さまを口説き落とす決めの笑顔を浮かべ、しっかりとルキアの手を握る。
しかしその手も、恋次によって一瞬で強制排除されてしまう。

「・・・!で、でも!一人だけを想うって大切だと思います!俺なら、そんな細かい事一切言いません!だから・・!」
「そうだな。今時の女性の自立をもっと尊重すべきであろう。
なんでも自分の言う通りにしようなど、かなり時代錯誤な思考の持ち主であるといえる。」

「先生。本当は別れたくて、困ってんじゃねーのか?もし困ってるなら、俺が・・・!」
恋次の後から冬獅郎、一護が詰め寄っていた。


・・・あいつら全員、後でしめとかんとな。

ギンは静かに怒りを燃やして、とにかくルキアをあの輪の中から救い出すべく歩み寄っていった。


ルキアは奇妙なテンションで息巻く皆の様子に一瞬キョトンとしてから、たまらずクスクスと笑いを溢す。
その笑顔の愛らしさに、皆の視線が集中した。


「そうだな。確かに、細かい事にこだわるような、器の小さいとんでもない男だと私も思う。・・・それでも。」


そこでルキアは、今まで見たことのない柔らかな微笑みを恥ずかしげに浮かべて呟いた。



「それでも、奴は私だけを愛してくれる。・・・私も、あ奴でなければ、ダメなのだ。」



この言葉に、高まった皆の淡い希望が粉々に打ち砕かれる音が、周囲に響き渡ったように聞こえた気がした。

ギンすらもその笑顔に見惚れ、一瞬前まで満ち溢れていた焦燥感や苛立ちが全て消え、代わりに心の中に暖かな花が咲き乱れる。


散々文句ばかり言い募った後、それでも彼でなければダメだと言う。
それはもう、とんでもないノロケにしかならない。
当然、計算でもなく思ったことを口にするだけなのだが、ルキアはどこまでも天然小悪魔とばかりに、男心を翻弄し続ける。




お仕置きは、せんでええみたいやね。



かなりのショックで、皆俯き肩落とす中、嬉しげに微笑みギンはルキアの目の前に立つ。

それに気付いたルキアは、少しだけ恥ずかしげに、しかしそれをひた隠し睨みつけるようにギンを見た。


「・・・どうした?市丸。」
「せんせぇ。僕とそいつと、どっちがええ?」
「?!・・・な・・・なんだ・・・と?」
「せやからぁ。せんせぇの彼氏、僕とずいぶん似たタイプみたいやし、そしたら僕がお相手でもかまわんと違う?
なぁ。僕とそいつ、どっちの方が、せんせぇは好きんなる?」


ギンの質問の意図を量りかね、ルキアは困惑し顔を赤らめ、それでも必死な様子で高らかに叫ぶ。



「貴様など、相手にならん!!!」



ギンは満足そうににやりと笑い、突然ルキアを輪の中から軽々と抱き上げると、有無を言わさずその唇に吸い付いた。



「!!!!!」



その場にいた一同は、あまりの光景に言葉を無くし、完全に凍りつく。


そしてギンは顔をあげると、真っ赤な顔でやはり固まったままのルキアを抱き、その場から脱兎のごとく逃亡した。



バタン!!



屋上の扉が閉まる大きな音に、皆は魔法から醒めたようにハッと我に返ると、ギンの出て行った扉を見つめた。





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・い、市丸ぅぅぅぅぅ!!」





たっぷり数十秒たってから誰かが大声で咆哮をあげ、それを合図に皆猛然とダッシュし、二人の消えた扉へと殺到する。



ギンはルキアを肩に担ぎ抱いたまま長い足で跳ぶように階段を駆け下り、
その震動に振り落とさぬようギンにしっかりしがみつきながら、ルキアは大声でギンへ怒鳴る。



「・・・き、貴様ぁ!!一体なにをする?!!」
「皆ん前であないノロケられて、嬉しかったんやもの。ちゅーくらいええやん。」
「いいわけあるか?!莫迦ものめ!!ど、どう言い訳をしたいいのだ?!!!」
「言うたらええやん。旦那やから、問題あらへんって。」
「い、言えぬから、困っているのではないか!!そ、それに一体どこへ行く気だ?!」
「どこやろ?・・・なんも考えとらんかった。」
「ば、莫迦もの!!午後も授業はあるのだぞ?!!!」
「そう言うても、今捕まったら、僕えらいめにおうてまうし・・・このまま、お家に帰ったろうか?」
「ふ、ふざけるな!!とにかく、離せ〜〜〜〜〜〜!!!」
「絶ぇ対いややん♪僕がルキアちゃん、離すと思うてんのぉ〜?」


そこで頭上からギンを呼ぶ怒声と、大勢の足音が階段を駆け下りてくるのが聞こえてくる。


ギンは浮かれ笑顔でルキアを抱き締め走り、ルキアは真っ赤な顔で怒り叫ぶ。



多くの者を引き連れ逃げながら、ギンはルキアを強く抱いたまま上機嫌で校内を走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいわけ
 はい!もう全然『学園パロ』なんかじゃないんですが、これがさんぽさんからのリクエスト設定だったので良いんです☆
 な、後編でしたが、皆様如何だったでしょうか?(逃亡)
 もう帳尻あわせに最後にちょこっと学園風景入れてる辺り、必死な感じが我ながら泣けます☆
 でも前編で、多くの方から『面白い』『続き楽しみ』のお言葉に励まされ、
 結局思いついた話を何一つ削ることなく、特盛り一丁な後編になりました☆
 なので読み返し等にあまり時間が使えず、いつも以上に文章変だったり、誤字ありありの予感・・・。(実際あった)
 特にkisaさん!最初入れてなかった白哉VSギンのシーンいれてみました!どうでしょう?
 楽しんで頂けたなら幸いなのですが・・・。(自信はないです)
 また今回も言うまでもないですが、夫婦別姓って出来るのかどうか知らない等、現実世界ではどうなんこれ?
 ってのも全部全部この世界はあり☆で、お願いしま〜す♪(強引)
 なにはともあれ、皆様の声援を受け、とても頑張って書いた感慨深い作品になりました!
 今後の為にもまた感想などコメント頂けると嬉しいです〜☆
 2008.11.29

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