なんとかギンの部屋から逃げ出せたルキアだが、みっともなく着乱された半裸状態で外へ飛び出すまでの勢いはなく、
トイレを探し当てると籠城覚悟でそこへ飛び込み、震える手で衣服を直す共に昂ぶった気を静めようと努力する。

僅かな時間で制服を綺麗に着直すと、ルキアにも大分冷静さが戻っていた。
部屋を出てくる時ギンは完全停止していたが、もうトイレ前で立ち塞がり、また捕まえようと待ち構えているかもしれない。

何か武器にならないかと辺りを見渡すが、清潔な室内にはトイレブラシすら置かれておらず、
仕方なく武器代わりに投げつけてやろうとトイレットペーパーを3個ほどかかえ持つと、扉へと耳を当て外の様子を伺うが、
ルキアの予想に反してなんの気配も感じられずに、そっと開け見渡すとそこにはやはり誰もおらず、
若干のとまどいを覚えながらもペーパーを元に戻すと、あとは一直線に玄関目指し駆けだした。






市丸ギンは機嫌が悪い   〜 第6話 〜





 

焦りながら靴を履きここから抜け出せる深い安堵を覚えながらドアノブを掴み、外の自由な世界へ飛び出そうとした。
だが、その瞬間、奇妙な感覚にルキアは襲われ、反射的にドアノブから手を離す。

・・・・・彼は、どうしたんだろう。

ルキアは急にギンの様子が気にかかり、物音ひとつしない室内を振り返る。
思い出せば震えがくる無理矢理純潔を奪われそうになった先程の恐怖は嘘じゃなく、今すぐここを逃げ出したい気持ちで一杯なはずなのに、
それでもそれを凌ぐルキアの中の何かが足を止め、この場に彼女を引き留めていた。

それがどうしてなのか、今のルキアにはわからない。

あの男に襲われ恐怖したにも関わらず、被害者が加害者の身を案じるなど理不尽もいいとこだと思うのに、
ギンに対してルキアが小さな罪悪感を感じているのも誤魔化しようのない事実。

それはきっと、ギンがひどく真剣にルキアに語りかけていたから。

自分を思い出して欲しいと、恋人なのだとずっと真剣に語りかけていたではないか。


自分が兄様の言うことに背き、あの様な男と付き合うなど想像できないが、それでも奴の言葉が嘘とは思えず、
それどころか、ギンの置いてかれた子供みたいな必至さと不安と悲しみを強烈に感じた。

ルキアは、まだギンを思い出せない。
思い出せはしないが、今までになかった感情が胸の中に小さく芽生えていた。

『彼と、一度話をしてみようか・・・・・。』

少しの間だけ戻るか出て行くか葛藤したが、後ろ髪引かれる思いが勝り、覚悟を決めたルキアは部屋の中へと向き直ると、
奇妙にドキドキうるさい心臓を落ち着かせようと、深く大きく深呼吸を何度か繰り返すと、今度は自らの意志で靴を脱ぎ揃える。

短いようで長い廊下を惑いながらもそろそろと進み、迷うことなく逃げ出したばかりの部屋前へと着いてしまった。
さすがにすぐ開ける気にはなれず、ルキアはドアに耳を押し当て中の様子を探ってみたが、中では物音ひとつせずシンと静まり返っている。

緊張に震えた手を抑えゆっくりとドアを開け中を覗くと、こちらには背を向けたギンが、ベッドの上で体育座りをした格好で、
膝上に組んだ両腕を乗せ、そこに顔を埋めじっとしていた。

広く逞しい背中のはずが丸く屈みこみ、その意気消沈ぶりが小さい子供のようにか細く不安定に見え、
あまりの頼りなさに緊張も恐怖も忘れ、ルキアは妙に落ち着いた気持ちでギンの傍へと自然に寄り添うように立ち見下ろす。
はだけたシャツはそのままだが、さすがに下着は履き直していたもののファスナーは上げられておらず、
だらしない姿で項垂れていたギンは、傍らに立つ気配に僅かに顔を上げ、不思議そうにルキアを見つめた。

「・・・なんで、まだおるの?・・・忘れもんでもしたん?」

「そうだな・・・私は・・・私は、大事な事を、忘れてしまったようだ。」

「っ!僕んこと思い出したん?」

瞬間、ギンは期待にがばりと身を起こし、縋り付く視線で見上げてくるが、この問いにルキアは一瞬緊張に動きを止め、
その視線から逃れるように目を伏せ俯き小さく左右に首を振る。
そんなルキアの罪悪感を垣間見たギンは、それ以上追及することをやめベッドの上に座り直すと、己の早とちりを恥じたように照れ笑いを浮かべた。

「・・・あぁ、なーんや。そーかぁ。そらまぁそーやんなぁ。
戻って来てくれはったから、思い出してくれたんかと思うてしもたわ。」

「・・・・・怒ら、ないのか?」

「へ?なんで?なんで僕がルキアちゃん怒ることあるん?
そら忘れられてしもて寂しいけど、今のルキアちゃんが悪いんとちゃうやろ?
それで僕がルキアちゃん怒るんはおかしいやろ。ほんまは、僕かてわかっとるんよ・・・」


暴走に爆発しつくしたことで落ち着いたのか、先程とは真逆な悟ったような穏やかさにルキアはとまどいを覚えながら、
彼の優しくも寂しげな微笑みに胸の奥がちりちりと疼き、息苦しい切なさに喘ぎながら懸命に言葉を紡ぐ。


「聞いても、よい、だろうかか・・・」

「へぇ僕に?ええよ。なに?」

「あの・・・わ、私の方が・・・いや、私、ではなく、貴方を知っている私、が・・・貴方を、好きに、なったのだろうか?」

「へぇぇっ?」

「〜〜〜〜〜っ」


予想外過ぎたルキアの質問に、いやに素っ頓狂な声が出てしまったギンを直視することが出来ず、
真っ赤な顔で俯いてしまったルキアをしばし唖然と見つめていたギンは、我に返ると思わず吹き出した。


「ふふっ!そうやーて言いたいけど、残念やけどちゃうんよ。
好きんなったんわ、当然やけど僕ん方。
ルキアちゃんは僕につきまとわれてえらい迷惑しとったけど、最後は僕の執念に押し切られて付き合うてくれるようになったんよ。」

「え?そ、そうなのか?」

「ルキアちゃんに付き合うてもええ言われて時は、嬉しゅうて嬉しゅうて天まで飛べそうな気ぃしたなぁ。」

「え・・・・・?」


その時を思い出しているのかギンはルキアとはあらぬ方向に顔を上げ、ひどく幸せそうな笑みを浮かべている。
笑顔が幸せに満ちているだけに、ルキアの中の罪悪感が膨らんでいく。

それなら今は、地に落ちた気分に違いない。

そんな想いに、ルキアは苦しげに唇を噛み締めた。


「ゆうても半分無理矢理やったけどな、そんでもほんまに嬉しかったんよ。」

「それじゃあ、今の私を・・・・・憎んで、いるのか?」

「は?なんでそうなるん?言うてる意味が、わからんのやけど???」

「それは当然ではないか!
今の私は、お前の好いた者であっても、本当はそうではない。
姿を借りた別の人間ではないか!そんな存在、疎ましいしかないはずだ。」

「んー?そうなんかなぁ?僕は別に、今のルキアちゃんが別人なんて思うとらんけど?」

「え?」

「僕んこと覚えとらんだけで、ルキアちゃんはルキアちゃんや。
それは変わらんし、ほんまに変わっておらんやろ?あたりまえやん。」

「どうして?私は・・・私は、違う、のに。
お前の言う『ルキアちゃん』ではないではないか!」

「そんなことない。前も今も、『僕の大好きなルキアちゃん』や。
どんなんなっても、そこは永遠に変わらんよ。」

「それは、本当か?」

「ほんまやよ。ルキアちゃんが望むなら、今のルキアちゃんにも永遠の愛誓うてもええけど。」

「!!!た、たたた、たわけがっ!なな何を突然、ふ、ふざけたことを言うな!!」


今度はギンからの予想外の愛の言葉に、不意をつかれたルキアは慌てふためきながらも強く叱責し、
久々に聞けたルキアの罵声にギンの顔がぱあああぁっと明るく晴れ渡った。

「それや!あぁ!それや!懐かしいなぁ!ルキアちゃんのたわけ!毎日怒られたもんなぁ。」

「・・・お、怒られて嬉しいのか?おかしな奴だ。まるで変態ではないか。」

「!!変態!記憶無くす前ん日にも言われたんよ〜なんやろ、ほんま嬉しいわ〜〜〜」

「・・・本当に、お前はおかしな奴だな。」

「あ、あんね、ちょいええかな?
僕、ルキアちゃんにお願いごとがあるんやけど・・・」

「?なんだ。急にもじもじと。気味が悪いから言ってみよ。」


記憶をなくしてから初めての二人の時間、嵐が過ぎ去った後に訪れた思いがけないくつろいだ雰囲気に、
穏やかだったギンの胸中に急にむくむくと欲が湧きだし、その危険な思いつきに珍しくギンは口籠る。

「せやから、その、僕・・・ルキアちゃんと、キスがしたいんやけど。」

「なに!?先刻飽くほどしてきたではないか!あれでまだ足りんというのか?」

「そうやけど!それはそうなんやけど、そーやのうてな!
さっきんは無理矢理やったやんか?そーやのうて、僕はルキアちゃんと、幸せな恋人同士のキスがしたいんよ!」

「今の私はお前の恋人ではないし、あんな真似をした輩相手に安心など出来るわけなかろう。」

「わかっとります!せやからマネでええから!いっぺんだけでも!ほんまたのんますっっっ!!!」

「貴様・・・本気、なのか?」

「僕が本気でキスしたいと思うとるのは、記憶があってものうても『ルキアちゃん』ただ1人やっ!!」

「・・・・・・・・・・・・な、ら・・・」

「え?なに、なんて言うたん?」

「・・・・・・・・・・一度、だけならば・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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※年内完結したいけど、こんなので来年まで延びたらごめんなさいと先に謝っておきます。(弱気
 2016.12.12

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